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「さよならアメリカ、さよなら日本」は、いつまで続く?(映画「SAYONARA AMERICA」を観て)

少し前に大学生が「コロナが落ち着いていれば卒業旅行に行く予定です。国内でお薦めの場所はありますか?」と言っていたのを目にした。

大学4年生。彼らが大学2年生の冬にコロナが到来し、それ以来ずっと、海外とは縁遠い生活を強いられるようになっている。

ワクチンが行き渡ったものの、新種のオミクロン株が市中感染している現状。国内外の行き来は引き続き推奨されない。

そんな状況だから、先の学生の発言がある。

仕方のないことだとは言え、あまりに大学生の「機会」を奪ってないかと憤りたくなる。彼らの選択肢から自然と「海外」が消えていることに、違和感すら生まれない状況は果たして正常なのだろうか。

あれだけ大々的に世界規模のイベントが開催され、そしてまた今冬に北京での開催が予定されている。「オリンピックとパラリンピックは世界的なイベントだから開催されて当然」という空気を受け入れて良いものだろうか。

僕のnoteでもたびたび問題提起をしていて、フォロワーの皆さんにはいささか食傷気味だろう。でも、触れないわけにはいかない。預かり知らぬところで、機会が奪われている人が存在している。

2021年は終わってしまうけれど、その事実を無視してはいけないのではないだろうか。

──

音楽家の細野晴臣さんも、コロナ禍によって音楽活動に狂いが生じてしまったひとりだ。

「2年ぶりにギターを弾くよ」といって、屋上らしきところで弦を爪弾く。2年前にアメリカツアーをしたときの柔らかく、音楽を身体全体で楽しんでいたときの表情は全く見られない。

義務感のようにギターを触っているような感じだった。

「SAYONARA AMERICA」は、細野さんが2年前に実施したアメリカツアーの様子を収録したライブドキュメンタリーだ。ニューヨークとロサンゼルスでライブを行ない、彼の熱心なファンが集まっていた。

映画館で聴く、細野さんの音楽は実にダイナミックで面白かった。映画ではライブシーンが大半を占めており、細野さんとバックバンドが奏でるバンド・ミュージックを楽しめる構成になっている。

それでも、注目してしまうのはコロナ以降における細野さんの表情や言葉だ。明らかに落ち込んでしまっており、元気がない。「世の中が全体主義の方向に進んでいるのでは?」という懸念も示している。

まさにその通りだと思うが、細野さんの音楽を愛する立場としては、細野さんの音楽も期待してしまう。それは百も承知なのだろうけれど、アメリカでのライブが成功だった分、2年間は停滞の色を帯びてしまったのだろう。

*

「さよならアメリカ、さよなら日本」は、いつまで続くのだろう?

ライブを観て、手放しで喜べるような日々は、また戻ってくるのだろうか。

映画では、その答えはなかった。

だけど希望はある。

「SAYONARA AMERICA」で撮られた、アメリカのファンによる細野評の的確さだ。もちろんドキュメンタリーであり、良いところを切り取っているのだろうが、ファンの教養の深さには驚いてしまった。

こんな風に、細野さんを歓迎してくれているのかと。

それに比べて日本は情けない。

年末、テレビのラテ欄で、過去のドラマを一挙再放送しているのはどういった算段だろうか。それを流さないといけないくらいネタがないのだろうか。心から辟易としている。

メディアと視聴者は合わせ鏡のようなものだ。

日本にいる僕たちは、エンターテイメントをどれくらい渇望しているのだろうか。どれくらい理解しているのだろうか。それが、真剣に問われている気がする。

希望と自戒が混ぜになる。あの大学生にも、いつか、本作を観てほしい。

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(映画館で観ました)

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