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「傷つけてしまうかもしれない」ことで傷つく若者たち(「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を観て)

京都の大学に進学した主人公が、同級生と共に入部した「ぬいぐるみサークル」。通称「ぬいサー」には、ぬいぐるみに囲まれ、優しく穏やかな部員たちが集っていた。

一方でぬいサーを出れば、理不尽なことがたびたび発生する厳しい社会。卒業後の不安を感じながら、いかに社会に適合するか葛藤する若者たちの物語だ。

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
(監督:金子由里奈、2023年)

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映画としてはかなりユニークなつくりだ。

とにかく物語がない。「付き合った/別れた」といった出来事はあるけれど、付属品のように軽く扱われている。とにかく全編通して映し出されるのは「傷ついた『僕』『わたし』」の姿だ

繊細さん、というワードがここ数年、話題になることが多い。だがここまで「弱さ」が顕わに映されることには純粋に驚いてしまう。なぜなら、「弱さ」とは日常生活において、“届かない”存在であるはずだからだ。(否定的な意味ではない)

サークルの部員たちにとって、心の拠り所となるぬいぐるみ。

「ぬいぐるみに話し掛けていることは聞かない」という唯一のルールのもと、部員は思い思いにぬいぐるみに語りかける。「〜〜がつらい」「〜〜が嫌だった」といった、第三者に話せないことを吐露する部員たち。作中の彼らはイヤホンをして、お互いが話の内容を聞けないようになっているのだけど、観客である僕たちには彼らの「弱さ」が筒抜けなのだ。

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彼らが気にしていることは何か。

端的にまとめると、自分の悩みを打ち明けることもしんどいのだが、それ以外に、「(悩みを)打ち明けることによって相手にしんどい思いをさせてしまうのではないか」ということではないだろうか。

この辺りから、僕はちょっと理解できなくなってしまうのだけど、細田佳央太さんや駒井蓮さんのリアリティのある演技に、“うっ”とするものを感じてしまうのだ。

誰も傷つけたくないと考える七森(演:細田佳央太)は、友人や恋人とのコミュニケーションにひたすら悩んでいる。無意識で誰かを傷つけてしまうのではないか。であれば悩みは胸に留めて対話を放棄すればいいのかもしれない。……いや果たして本当にそうなのかと、彼は悩んでいる。

スマホが普及し、24時間365日誰かとつながれる現代だからこそ、コミュニケーションにコンプレックスを感じる人にとっては生きづらい世の中だ。観る者が繊細さんであるならば無条件で共感できるだろう。だが僕のように、ある意味で図太く生きている人間にとっても、その苦しさに多少なりとも思い当たるところはあるわけで。

例えば、こんな台詞だ。

嫌なこと言うやつは、もっと嫌なやつであってくれ

そうなんだよ。悪人は、ずっと悪人であってほしい。「あいつって実は善いところあるのかも」なんて余地を残さないでほしいのだ。判断に迷ってしまうから。

「傷つけてしまうかもしれない」ことで傷つく若者たちは、きっと僕らのすぐそばにもいる。「こんなこと感じてるんだな」と安直に共感するのは間違っている、そんなのは僕が言うまでもない。

だけど、だからこそ、「『傷つく』って何なのか」を再定義しておきたい。「私自身は本当に差別する気もなければ、本当に差別なんていうことを考えたこともない」なんてことを平気で釈明できる社会だからこそ、「傷つく」ことの意味を改めて考えていくべきではないだろうか。

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本作は、各種配信プラットフォームで鑑賞することができます。

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