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自然には敵わない。

息子を保育園に送った後、近くの公園を通る。

仕事に切り替えるためのスイッチ、公園の豊かな木々からエネルギーをもらう。

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いつもなら、イヤホンを取り出して音楽やPodcastを聴く。

『WHITE SPACE ホワイトスペース』という本で、「戦略的に『何もしない』のことが大事だ」と書いてあったのを思い出して、ただただのんびり歩くことにした。

そこで目に触れた木々の力強さに、しばし圧倒される。

幹は力強く上へと伸びていき、そして「ここでいいか」という感じで枝へと分化していく。木によっては、「そこで枝分かれするの?」と驚くような形もある。

どんな形をまとうか、それは木にとっては必然の結果なのである。

光や水を、しっかりと受けるための知恵を身をもって体現している。それぞれの木に与えられた諸条件は、木によって全く異なる。だから木にはひとつとして同じ形はない。漠然と眺めていると同じように見えるけれど、木は、ひとつひとつが実にユニークな形をしている。

木だけはない。花も草も同様だし、なんだったら人間だって同じだ。

地球という生命体が生まれて、長い長い時間が経ったわけだけど、未だに地球は滅びていない。誰もプログラムしていないにも関わらず、絶妙なバランスのもとで生命は巡っている。

それだけで、自然には敵うはずがないと思ってしまった。ただ公園を歩いているだけで、そんな強い実感を持つことができた。良き日である。

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さらに思考を伸ばしてみる。

デジタルで構築された仮想空間、いわゆるメタバースの話題がここ数年で沸き立っている。だが、メタバースの世界において、自然の生命体のような「ユニークさ」を表現することは不可能だ。

それっぽいプログラムを組むことはできるだろう。

だが、目の前に映る草木は、他のユーザーの仮想空間内でも花開いているはずで。それに違和感すら抱かずに仮想空間を楽しむユーザーの方が大半だと思うけど、自然界の雄大さんに気付けないのは、あまりにもったいない。

そもそもアバターという機能も、人間固有に与えられた遺伝子を無視している。顔の造形や肌の色を自由に決めることができる。しかしその自由さは、プログラムが「どれくらいのグラデーションを用意しているか」に依存する。たぶん多くの人は、同じようなキャラクターを形作るだろう。かつて「モバゲータウン」の初期設定が、白い肌着だけだったのは、その象徴のように思う。

テレビで活躍するあのタレントのようになりたい。

皆が望めば望むほど、同じようなルックス・スタイルが大量生産されていく。流行とはそういうものであり、マーケットは流行を生み出すことによって、大きな消費のムーブメントを作ろうという明確な意図を持っている。

自然とは、人工物の抗いによるものではない。なのに、自然と人工物が対比構造のように感じられるのは、どんな皮肉だろうか。

明日も公園を歩こう。貴重なルーティンの機会にしよう。

また、何か出会いがあると良いな。

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