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1953年に製作された「ひろしま」は、2024年に何を語っているのか。

エッセイスト/ライターの碧月はるさんに、1953年に製作された映画「ひろしま」のテキストを寄稿いただきました。

今井峻介さんの「風が吹くとき」のテキストに続き、戦後79年の節目における2本目のコンテンツです。どちらも古い作品ですが、2024年に生きる私たちの心を響かせる大切な映画だと思います。

碧月さんのテキストにも一部触れつつ、私も「ひろしま」について感想を記します。

「ひろしま」
(監督:関川秀雄、1953年製作)

(こちらのYouTubeで全編を視聴することができます)

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現実を直視しない/嫌なことはすぐに忘れたいと思う人たち

本作で最も憤慨したのは、広島と長崎で原爆を落とされ、甚大な被害が出たにもかかわらず、軍部が戦争継続を強硬に主張したことです。

8月10日以降の話は、すでに史実として詳らかになっており、ノンフィクション作品などを中心に記されています。ただ、少なくない人たちが現実を直視しようとせず、玉砕を声高に主張していたムードは絶対に許せない。

ただこれは、きっと一部の人間だけではないのでしょう。戦後から10年も経っていないにも関わらず、広島の被害をなかったかのように語る人たちの姿。「こんなことは起こらなかったのだ」と史実を捻じ曲げようとする人たち。実際に日本は、アメリカが関与する朝鮮戦争に端を発する「朝鮮特需」で景気を回復します。「ひろしま」では工場で働く青年が、戦争に関与したくないという意思を表明、ヤクザな商売へと堕ちてしまう姿が映されます。ただ、私はその青年を非難することはできません。彼の気持ちを慮ると、致し方ないと思えてしまうのです。

川を歩く

映画では、瀕死の状態の友人たちとともに、川を歩きながら前を進む若者たちが描かれていました。ひどいやけどを負い、痛みを和らげるための行動だと思います。

映画ではそこまで重症の姿は映されていませんでしたが、脳裏に浮かんだのは『はだしのゲン』。皮膚がただれて、人間とも思えない人たちが群れをなして川を歩いていた姿が描かれていました。

なぜ、人々は川を歩かなければならなかったのか。

映像では表現されていなかった/できなかったことも含めて、想像力を掻き立てられるシーンが多々あるのが「ひろしま」という作品の価値だと思います。2024年に「ひろしま」をリメイクするなら、どう表現するか。クリエイターであれば、そういった「想像力」も避けては通れないのではないでしょうか。

AIでカラー化&高画質化

上で紹介したYouTubeは、AIでカラー化&高画質化したものだそう。

とはいえ、70年以上前に製作された映画ですから、ところどころ人間の顔が鮮明でない箇所がありました。でも、それすら当時の広島の「現実」だったのではないかと感じました。

製作者の手を離れた作品の「演出」や「編集」がどこまで許容されるべきか、是非を一言で語ることはできません。だけど、モノクロの古めかしい映像が広く流布されるのは難しいはず。日本人でさえ、日本国の将来的な核保有を肯定している人もいる現在。ひとりでも多くの人に「ひろしま」を観てもらうための運動を、私は心から応援します。

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2023年、漫画『はだしのゲン』が広島市の平和教育副教材から削除されたことが話題になりました。

先日、久しぶりに図書館で『はだしのゲン』を見掛け、短い時間でしたがページを繰りました。一読しただけで、中沢啓治さんが表明する戦争への怒りが感じられる。そんな作品は滅多にありません。

いつか息子にも、『はだしのゲン』を読んでほしい。そんな機会を安易に奪うことがあってはならないと強く思います。

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