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「性教育」という言葉の響き

偏りがない人間は、いない。

年齢、性別、育ってきた環境、学校教育、友人関係などによって36年間のうちに形成された僕の価値観は、それなりに揺るぎなくなっている。

価値観は、経験や時代の変化と共に補正されていくものだ。

僕は中学で野球を、高校でラグビーをやっていた。少しでも弱気な姿勢を見せると「男だろ!」という檄が飛ばされていた。現在の部活動のことは分からないが、ビジネスの場で「男らしく」「女らしく」なんて発言があったら即ハラスメントに抵触する。

幸いなことに僕は、このレベルの話であれば問題なく対処できる。昔から「『男らしく』って良く分かんねえよな」と思っていたことも大きい。そんな僕でさえ、10代に叩き込まれた「男らしく」という感覚は、ねちっこく、健全な価値観形成を阻害する。呪縛のように。

頭では分かっていることも、身体や心が追いついているとは限らない。

当事者として向き合わないといけなくなったとき、手放しに彼らを支持できるだろうか。愛する人がマイノリティであることをカミングアウトしたとき、その苦悩や決意に寄り添うことができるだろうか。

自信を持って「YES」と言えない自分が、もどかしい。

──

『おうち性教育はじめます』という本を、妻が買ってきた。

僕にも「読んでほしい」と言うのだが、正直なところ気が進まなかった。「性教育」と聞くと、心がザワザワしてしまって妙な背徳感を抱いてしまう。知ってはいけないこと、タブーに触れるのでは?という怖さがあった

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そう思うことこそ、「性」に関する知識が乏しい証拠になる。

性は誰にでも備わっているし、身近で、他者との関係性を深めるきっかけになる。そのように自覚できれば、むしろ性はタブーでなく、健全なディスカッションを引き出せる良質なテーマになる。

・性とは何か?
性教育とは何か?
性の知識を得るとどんな良いことがあるのか?

社会における最適解を議論するよりも先に、正しい知識を身につけることが大切だ。正しい知識をインプットし、上記の質問に対して解釈・解答できれば、自ずと「他者」に対して開かれた態度で接することができる。

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性教育について、本書では以下のように説明している。

性教育は「いのち・からだ・健康」の学問。
性は知識や学習によって形づくられる「文化」であり、そのしくみの基本はまず「自然科学」。
そしてこれからの世の中を生きていく人格を育てるのに必須の「教養・知性」なんだ。
(『おうち性教育はじめます』P18〜19より引用、太字は私)
(それらを学ぶとどんな良いことがあるかというと)まずは性的なトラブルを避けられること。万が一トラブルにあっても解決に向かって適切に対処できる人間に育つんだ。
もうひとつは自分の性や体に対して肯定的に捉えられるようになって、「自己肯定感の高い人間」に育つことなんだ。(中略)自己肯定感の高い人は自分だけでなく相手も尊重できるから、子どもが学べば幸せな人間関係を築く力の土台になる
(『おうち性教育はじめます』P19〜20より引用、太字は私)

本書では、性教育はなるべく幼児期からスタートすべきだと提起している。

日本では身体の変化が起こったとき / 起こる直前に性教育が「正式に」行なわれるものだけど、そのハードルは当人にとっても周囲にとっても高いものになる。だからこそ少しずつ、正しい段階を経て性教育が行なわれるのが望ましいというものだ。

性教育とは、受精(セックス)のことだけではない。

例えば幼児に「プライベートパーツ(口、胸、性器、おしり)は命にかかわる大切なものだから、他人に見せてはいけないよ」と伝えることも立派な性教育の一つだ。そのことを理解させられないと、プライベートパーツへの攻を「相手の好意なのでは?」と誤認させてしまうことに繋がってしまう。

幼児に対して

・はだかんぼでいると危ないよ
・外でおしりを見せるのは良くないよ
・おちんちんは大切なところだから自分で優しく洗おうね

ということを日常で繰り返し伝えることも、立派な性教育と言えるのだ。

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その他にも、

・性に関して「きれい」「素晴らしい」「汚れた」「汚らしい」といった価値観に基づく言葉やからかうことははNG
・「どうやって僕は生まれたの?」といった質問に対して、誤魔化すことなく、淡々と事実を伝えて説明することが望ましい

など、『おうち性教育はじめます』を読むと様々な発見がある。

いつからでも知識を得ることは可能だ。「学校で教わってこなかったよね」と嘆くのではなく、まずは本書を読んで正しい知識を身に付けてもらえたら幸いだ。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。ここからは本noteの補足です。(やや長いです)

本noteで記載したことの詳細は、note冒頭で紹介した『おうち性教育はじめます』に書かれています。「性教育」と聞いて「ちょっとハードル高いよなあ、だけど正しい知識は身に付けておきたい」という方にお薦めです。

論理の飛躍かもしれないけれど、性教育の正しい知識は、健全な社会のベースになるものだと感じます。

本書にも書かれていますが、おそらくこれまでの社会は「性」をなるべく知られたくないもの / クローズにすべきものとして捉えていたように感じます。

例えばマスターベーションは「手を汚す」というラテン語に由来しています。隠れてコソコソと行なう自慰行為は、誰にも知られたくないもの。そのようにマイナスの文脈で語られることが多いのではないでしょうか。

最近では、マスターベーションをセルフプレジャーと呼ぶ人たちが増えています。性欲というなかなかコントロールすることが難しい物事に対して、セルフプレジャーができることは「性欲を自分で管理できる=大人への一歩」という見方に転換ができるというのです。とても良いことのように感じるだけでなく、自分の持つ性的な感覚(反応・感受性)や体への愛着を確認できるという意味で、実際にとても良い効果もあるわけです。

「性」に関する誤認をアンラーニングし、友人や知人にもカジュアルに語れるような状態を誰もが作れたら。世の中がちょっとだけオープンな方向に好転するのではないでしょうか。

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本の感想は、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」でも無料配信をしています。20分程度で聴き流しいただける内容ですので、ぜひチェックしてみてください。

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