見出し画像

ヤレロマの美意識とお笑い論

ヤレロマことお笑いコンビのヤーレンズ、令和ロマンが揃って出演した「ボクらの時代」。

映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんが言及していたのでTVerで鑑賞した。彼らのやりとりを、抜粋しながら文字を起こした。

*

出井:M-1のときとかがね、それこそ失敗したなあと俺は思ってて。歴代ファイナリストから「いつも通り振る舞え」って言われて。いつも通り自分でメイクしたら、やっぱちょっとM-1の豪華セットの前では負けてたなと。

髙比良:俺は真っ黒にしてもらいました。真っ黒に。なんかメイク直しなさそうだな〜と思ったんですよね。この感じ。放っとかれてない、俺たち。実際(メイク直しは)なかったから。真っ黒にしといた方が最終決戦まで持つかなって。

松井:コンタクトもそうでしょ?コンタクトにしたんだもんね、M-1に向けて。

髙比良:そうそう、コンタクトにして。コンタクトで伊達メガネに途中からすることによって覇気が上がってるように見せるっていう。(レンズに度が入ってると黒目が小さくなるから)俺の目は特に。

出井:見事に言うよね、やっぱおでこ出してた方がいいって、芸人は。

髙比良:芸人あるあるですけど、やっぱ芸人は面白いのやるやつが好きだし。お笑いに対するアンテナが、感度がいいのが芸人じゃないですか。だから、それこそ顔が見えづらかったり、声が聞こえづらかったりしても笑えるんですよ、自分で補完できるから。でも普通に暮らしてる人にとっては、表情とかが分かりやすかったりしてくれないと、何が起きてるか分からないんですよね、正直

松井:確かに。あと多少小綺麗じゃないと見てらんないんですよね。芸人同士はもう汚いやつがいっぱいいるから全然見てられるし、なんか面白いって思えるけど。なんか説得力が本当なくなっちゃうんですよ

楢原:特にM-1なんかそうだもんな。あんな豪華なセットの前でみすぼらしいふたりが出てきたら、やっぱちょっとしょうもないもんね

*

「お笑い芸人は、お笑いのことだけ考えていればいい」というスタンスは通用しない。M-1グランプリで結果を残した2組の主張だからこそ、説得力がある。

でもこれって、お笑い芸人だけに言えることではないように思う。

時代のトップランナーを走る人たちは、尖ったことだけを突き詰めているわけではない。小説にせよ映画にせよ、序盤のイントロダクションで目線合わせのメッセージを何らかの形で表明している。(それが「説明」に終始してしまうと“醒め”てしまうわけだが)

例えば令和ロマンがM-1グランプリで見せたネタ。ボケの髙比良さんは全身を使って、顔の表情を大きく変化させながらネタを展開していた。審査員から「漫才の世界をつくっていた」と評価されていたけれど、才能ではなく、計算尽くされた結果だったといえるだろう。

美意識とお笑い論は両立する。というか、お笑い論の中に当然のごとく美意識が馴染むことによって、ネタは輝きを増すのだろう。

ふた組のリアルを知れたことで、良い学びを得ることができた。

#お笑い
#漫才
#令和ロマン
#ヤーレンズ
#ボクらの時代
#西村朗 (プロデューサー)
#松本彩夏 (プロデューサー)
#松本絵理 (プロデューサー)
#美意識
#見た目

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。