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編集補記(ももさんエッセイ|ふつうごと)

Webサイト「ふつうごと」で毎週公開しているエッセイ企画 #愛を語ってくれませんか

今月は、高校卒業後にあえて進学しないという「ギャップイヤー」を選択した19歳のももさんに寄稿いただいた。

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原稿のやり取りはとても楽しく、10代のももさんの言語感覚は勉強になることばかりだった。

例えば「現場」。「コンサートや舞台などのイベントが開催される会場」のことだが、ももさんは、現場に通う人たちの熱量をたっぷり記してくれた。

シャキッと、いや、ギラっと目が覚める朝。私が現場に行く日の朝のルーティンは、いつも以上の時間をかけた身支度からスタートします。目はバッチリ開いているのに、夢見心地でふわふわとした高揚感に包まれながら服選びやヘアメイクをする。急いでいる時は15分もかけずにできる準備に何時間もかける自分の姿は、なんだか可笑しいけれど、嫌いじゃありません。

(ふつうごと「推しと現場と推す人と / オタク気質女子の戯言(ももさん #2)」より引用)

現場に行かない日との比較をさりげなく書かれていることで、現場への思い入れが伝わってくる。対象となるアーティストでなく、運営している団体や場所そのものも「現場」という言葉に包括されている。それぞれの関係者の距離が近いような気がして、とても興味深かった。

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僕が特に印象深かったのは、ももさんがギャップイヤー期間中に職業として選んだ「かく」という行為について。

僕自身も「かく」ことを生業のひとつにしているが、会社員として働いていたときには「かく」という仕事について、イマイチ懐疑的な目を向けていた。

ライターは、イラストレーターやデザイナー、エンジニアなどと並び「手に職」と見做されている。

しかし「かく」ことは誰でもできるではないか。安直に「かく」ことを仕事として選ぶのはやや無謀だろう。そんなふうに、「ライター界隈」という世界を想像していた。

それは実に穿った見方だったと、ももさんのテキストを読んではっきりと理解した。

ももさんは、自分のコンプレックスを克服するために、かいて書いて描きまくってきた。試行錯誤そのものを乗り切るために「かく」という手段が有効だったのだ。

言語感覚の面白さは、間違いなくももさんの価値だろう。だが根っこにあるのは、「かく」ことに関する態度や覚悟で。歳はひと回り半も違うけれど、僕はまだまだ学ばなければならない点だ。

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もうすぐ20歳。きっとこのエッセイは、私の10代卒業制作のようなものでしょう。
私は今、より多くの人生を彩るアイデアを、広める人になりたいと考えています。人生には彩りが必要で、一人で見つけられる彩りには限りがあるからです。

(ふつうごと「かくことは、「愛するもの」なのかもしれない<後編> / オタク気質女子の戯言(ももさん #4)」より引用)

「10代最後としてのテキストを書いてほしい」。エッセイ依頼時に、僕はももさんに伝えていた。

自分なりの愛について、真摯に応えてくれたももさん。それが何より嬉しい。そしてきっとまた誰かが、愛のバトンを受け継いでくれると信じている。

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以下がももさんのTwitterアカウントなので、ぜひフォローしてください。

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さて、6月も終わりが近付いてきた。先週から参議院議員選挙の公示がなされ、全国各地で、政治家による演説が行なわれている。

「兆」という単位の金額が、いとも簡単に政治家によって動かされていることに強烈な違和感を抱いてしまう。政治の「ふつう」とは何だろう。どうしても首を傾げてしまうのだが……。(選挙も近いので、少しずつ選挙関連のnoteも投稿していきたいと思います)

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これからも、Webサイト「ふつうごと」は、世の中の「ふつう」を伝えていく。ぜひ定期的にチェックいただけると嬉しい。

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