ゾーンに入る感覚(日光国立公園マウンテンランニング)
何のために走っているんですか?
ランナーなら誰しも一度は聞かれたことがあるだろう。
答えに窮するランナーは少なくない。
僕もそうだ。何のために走るんだろう。
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2007年、社会人となったことを契機に、僕は走り始めた。走り始めた理由は幾つかあるが、初期投資が殆ど必要なかったことが大きい。東神奈川駅のイオンに行き、ミズノの3,000円くらいのスポーツシューズを購入しただけ。専門店に行けばシューズ代はそこそこ値が張るのは分かっていた。だけど社会人一年目で趣味に割く余裕はなかったし、たぶんすぐ飽きるだろうと思っていた。
まさか、(多少の断続はあれど)12年間走り続けるなんて。当時の僕には全く想像がつかなかった。
一番最初のレースはハーフマラソンだった。当時の日記を、SNS「mixi」に残している。
タイムは1時間46分57秒くらいでした。ダメだね、若さを過信していたら、痛い目に遭ったよ(痛い目に遭った詳細は下記)。
開始4kmにて、背中と腰と首筋を痛めたことに気付く → その影響で、呼吸困難に陥る → 給水所(7km地点)でアミノバリュー飲み過ぎて、腹も痛くなる → チャラチャラした若手ランナーに抜かれる → 抜き返す気力はない → おじいちゃんやおばあちゃんにも抜かれる → 泣きそうになる(けど、涙は既に涸れていた) → 沿道の人が応援してくれる → 「オマエも走れよ」と、最低なことを頭に浮かべてしまった → 1km1kmがしんどい、しんどい、しんどい → 途中省略、ゴール → 1回も歩かなかったものの、終わった後はしばらく動けず → もう2度と走りたくないけど、既に1月のハーフマラソンにもエントリー済み → また走らないと → 「人生とは、マラソンである」 ・・・たしかにぃー
とはいえ、まだ自分自身をコントロールできる余地があるだけ、マラソンはマシです。ちーとも楽しくないけど。
(筆者のmixi日記より引用)
赤面必至の文章だけど(前後の文章はもっと酷かった)、とてもリアルな感想であると今なら分かる。走り始めて1年弱で参加した「那須塩原ハーフマラソン」は、ほぼフラットで比較的走りやすいコースなのだけど、当時の僕には走る体力が全くなくて。ひいひい言いながら完走したのを憶えている。
順調に、と言うべきか。その後フルマラソン、ウルトラマラソン、トレイルランと様々なレースを走ってきた。宿泊とセットの「旅ラン」もあったし、仲間と並走しながら走ったウルトラマラソンも経験した。
どのレースが一番記憶に残っているか。迷うことなく「第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン」を挙げる。初めて100kmを走ったレースだ。
70キロから80キロは、確かに苦しかったけれど、前の10キロよりも1キロ1分ずつくらい早めて走ることができた。ゲストとして招かれていた砂田貴裕さんが、ランナーたちに檄を飛ばす。「もっとペースを上げないと次の次の関門に引っ掛かってしまうよ」。砂田さんは100キロ走の世界記録保持者。もっと優しい言葉を掛けてくれれば良いのにと思うも、何だか見返してやろうという気持ちになる。
はっきり言って、ワッカ原生花園のことは、あまり憶えていない。コースの中で最も美しく、そしてランナーにとって最も過酷であるというこの場所は、僕の想像を超えて厳しいものだった。
往復であるがゆえに、たくさんのランナーとすれ違うことになる。彼らは先にゴールに辿り着くランナーなのだ。そんな彼らへの嫉妬もさることながら、2時間後の自分を投影するような険しい表情を見ると、背筋が凍るような思いがした。当の本人である僕も、いよいよ走りに安定感が無くなってしまう。脚がもつれ、前から走ってくるランナーにぶつかりそうになってしまう。歩道を外れ、原生花園に足を取られそうになることもあった。
ワッカ原生花園を抜けると、間も無く「あと2キロ」の表示が現れる。
残り25分、歩いてでもゴールが出来そうなペースである。
でも、ここまで走り続けていると、歩こうという気持ちがまるで沸かなかった。ここまで来たら、このままゴールしてやろうという感じである。
残り1キロ。
ペースは落ちない。ガクンとスピードを落としているランナーも殆ど見かけない。何故なら、間も無く「FINISHER」だけに許されるビクトリーロードを通り抜けるからだ。拍手、声援、ハイタッチ、打楽器の演奏、笑顔。僕はそれに応えるほどの元気は無いけれど、少しずつ自分を祝福したい思いに駆られてくる。
ビクトリーロードを曲がると、FINISH地点が大きく見えてきた。
前を走る2人のランナーが、両手を上げてゴールテープを切った。
僕も、もうあとわずかでゴールになる。両サイドから歓声。手を合わせ、何かに祈ってみた。
ゴールと引き換えに、完全なる痛みに包まれる。
身体の中で、痛くない部分を数えることの方が難しい。
でも、痛みに慣れると、そんなに苦い味はしないものだ。
「苦痛」とかではない。むしろ味わい深い。
帰りのバスの中で、次のチャレンジは何をしようか考えていた。
(上記4つは弊ブログ内記事「第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2015年6月28日)」より引用、太字は私)
途切れ途切れの引用で恐縮だが、ミソは「帰りのバスの中で、次のチャレンジは何をしようか考えていた」という部分だろう。
とても辛い「13時間」を走ったばかりなのに、身体は痛みで支配されているというのに、思考は次を見据えている。思考は、束の間「ゾーン」に入っていたのかもしれない。
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ゾーンについて。
似たような言葉で「ランナーズハイ」がある。
ランナーズハイは、レースを走るランナーにとって待ち遠しい瞬間だ。思いがけず体力を消耗し、我慢しながら走っていると、ふと身体が軽くなる。レース序盤には決して訪れない。(少なくとも僕にとっては)呼び込もうと思って呼び込めるものではない。
でも突然訪れて、僕のどこかにあるスイッチを押し、躍動させてしまう魔力がある。楽しくて仕方がない。実際に笑いも溢れるほどに。走ることに没頭するだけでなく、沿道にいる一人ひとりの顔もしっかり捉えることができる。視界がクリアになり、追い風が吹いているような感覚だ。
実際のところ、ランナーズハイとゾーンの違いを僕は説明できない。以下の記事にはこのように書かれている。
――走る度に毎回” ZONE”に出会えるの? それともレアケースなの?
「滅多に” ZONE”には出会えない。毎回だったらいいけどね(笑)。でもね、一度” ZONE”に入ると、そこから出たり入ったりできるんだ。それはコントロールできるんだよ。『自分の意識が頭から数十センチ上にあって、物事が広く俯瞰して見える状態とか、意識が肉体から離れている感じというか、それまでの痛みは消え、この先走るトレイルの様子がいつまでも見通せるような感覚』とか言う人がいるけど、僕も同じだね」
(TrailRunner.jp「スコット・ジュレク interview2 「ZONEの正体 ~Identity of the zone」」より引用、太字は私)
――”ZONE”はランナーズハイと同じ? それとも別なの?
「僕は違うものだと思っている。ランナーズハイについては科学的な解明もされてきているし、5kmくらいの距離でもハイの状態になれることがあるでしょ。たぶん瞬間的な集中力とか関係あると思うんだけど、僕が体験してきた”ZONE”は十数時間も走り続けて、肉体も追い込んでやっとスィートスポットに出会えるかどうかのもの。だから、違うものだと考えている」
(TrailRunner.jp「スコット・ジュレク interview2 「ZONEの正体 ~Identity of the zone」」より引用、太字は私)
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先月、日光市で開催された「第4回 日光国立公園マウンテンランニング」を走った。終盤に得たゾーンと思わしき感覚のことを言語化してみたい。
前提として、トレイルランは楽しい。味気ないコンクリート(ロード)と違い、トレイルはノイズに溢れ、飽きずに踏み続けることができるからだ。ダンスと似ているかもしれない。村上春樹さん『ダンス・ダンス・ダンス』の一節がリフレインする。
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。
思考がまたこだまする。
(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』P151〜152より引用。太字は原文より)
だが、楽しみは永く続かない。
今回のコースは40km / 累積標高2,343mで、なかなかタフだ。案の定、中盤に差し掛かるタイミングで疲弊してしまう。「霧降高原キスゲ平園地天空回廊」という1,445ある階段に直面して、いよいよ疲れがピークに達してしまう。「足先が擦れて痛む」というビギナーの苦しみさえも味わってしまう。シンプルに、僕のトレーニングが明らかに不足していたのだ。
あまりに身体が痛むので、休憩を長めにとる。レストハウスで濃厚なアイスクリームを食べ、心身のコンディションを整える。幸いなことに、走り出してからしばらく「下り」が続いた。スピードを出し過ぎないよう抑制しながら走っていると、その瞬間は訪れた。
視界が一気に晴れて、遥かな前方まで見渡せるようになった。
トレイルランは、転ばないように下を見ながら走らなければならない。もちろん視線を忙しなく動かしながら走らなければならないのだが(下ばかり気にしていると枝葉に顔がぶつかることがある)、疲れてくると視野が狭くなって足元ばかりを見ているようになる。「転ぶ」は大怪我に繋がるため、本能的に視線が下を向いてしまうのだろう。
それがどうだろう。確かに疲れているはずなのに、走るべき道筋が示されているかのような光を感じたのだ。世界が止まって見えるような感覚だ。ほうっ!と声をあげ、大げさに跳躍し、速度を上げていく。ほんの2, 3kmくらいの間だけ、僕は無双になれた気がした。
その後多少の苦労はあったものの、気分は上々のままレースを終えることができた。レース終盤は「抜かされる」よりも「抜く」ことの方が多かった。「楽しかったなあ!」と思えたのは、そういう良い気分で終えたことも理由になる。本当に楽しく充実したレースだったし、「ゾーン」の存在を垣間見れる貴重な機会だった。
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何のために走っているんですか?
この答えはまだ持ち合わせていない。だけど振り返ってみれば、走り始めたときからバイブルにしていた村上春樹さんのエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の一節を、常に頭に浮かべていたように思う。
走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻しているというランナーがいた。Pain is inevitable. Suffering is optional. それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しづらいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」とおもったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』P3〜4より引用、太字は私)
「苦しさから逃げてはいけない」といったメッセージではないと僕は解釈している。本当に駄目なときは逃げれば良いし、逃げるべきだとも思う。
だけど「継続は力なり」というのも真実だと思うし、「灯台下暗し」で意外なところに突破口がある可能性だってある。
僕は走ることを通じて、そんな試行錯誤を重ねてきた人間だ。でも、たかだか12年間に過ぎない。これからもっと得体の知れない「苦しみ」に遭遇することもあるだろう。でもそれを超える達成感や、ランナーズハイや、ゾーンが訪れることも、また同時に願いたい。
Pain is inevitable. Suffering is optional.
僕にとっても、マントラだ。
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