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テロと市井の人間というリアリズム(「15時17分、パリ行き」を観て)

「15時17分、パリ行き」
(監督:クリント・イーストウッド)

クリント・イーストウッドの作品ということで、ある意味、心して観なければならない類のものだと思っていた。

とりわけ実話、しかも2015年に発生したタリス銃乱射事件を扱った話なので尚更だ。テロで揺れる国際情勢を巨匠はどう描くのだろうか。

しかし、そんな目測は外れた。「ユナイテッド93」のような緊迫感を期待していたのだが、描かれていたのは(ちょっと悪ガキ気味な)主人公たちの爽やかな成長物語だった。テロで揺れる車内を描いたのは、わずか10分程度だったと思う。(映画は全体で94分だ)

映画はいきなり、車中で銃が発泡されるシーンから始まる。なので全編スリリングな展開を想像したのだが、しばらく車内の喧騒は描かれない。幼少期にトラブルメーカーだった3名の生い立ちが細かく描かれる。(なかなか努力することができなかった主人公が、空軍を目指して努力し、人間性そのものが変わっていく様子はドキュメンタリーを観ているようだった)

3名のうち2名は成長し、アメリカ軍の配属になった。

だからテロリストにとって、腕っぷしの強い最悪の「敵」が同乗していたことになる。一般人ひとりを発砲したものの、すぐに取り押さえられてしまうのも不思議なことではない。

*

映画について補足を。

実話と書いたが、2015年、アムステルダムからパリに向かう高速鉄道タリス車内で実際に起こったテロがもとになっている。しかも、主演に起用されているのは、事件で犯人確保に尽力した3名。まさかの本人役で登場しているのだ。(演技、うまい……)

クリント・イーストウッドらしからぬ作品で、どことなく消化不良な気持ちを感じる人も少なくないだろう。

本作は、テロと市井の人間の関係性を、ただただリアルに描いている。

繰り返すが、「ユナイテッド93」のようなリアリズムを期待すると、拍子抜けする。そこに差し迫った悲喜は映らない。映っているのだけれど、それが主題ではないのだ。

この映画は、幼少期に不遇を味わいながらも、他人のため、正義のために尽くす主人公の姿に照準が当てられている。誰でもヒーローになれる。そんな希望を映したかったのか、真相はクリント・イーストウッドにしか分からない。

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#クリント・イーストウッド (監督)

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