敗戦後の日本にGHQが新憲法を作らせたのは、国際法違反ではなかった件
日本国憲法の制定は国際法違反なの?
日本は第二次世界大戦に破れて連合国の占領を受けたあと、大日本帝国憲法にかわる新たな憲法を作ることを迫られ、GHQの与えた憲法案をもとに、日本では議会の審議を経て日本国憲法を制定しました。
このように占領中に連合国が日本に新憲法の案を与えて制定させた点については、「押しつけ憲法」論として今日まで議論になっています。(この点については本noteの過去の記事を参照ください。)
https://note.com/horishinb/n/n377c6aa325c5
ところが問題はそこにとどまらず、「敗戦国に『押しつけ』をやって新憲法を作らせるのは国際法違反だ」「日本国憲法は、国際法違反のゴリ押しで作らされたのだ」などという説さえ出ていて、保守的な政治家や論者がこの説に乗ったりしています。
そこで今回は、この国際法違反という説について検討してみることにしましょう。
国際法違反説の具体的な内容は?
国際法違反説は、連合国が日本に新憲法の案を「押しつけた」行為はハーグ陸戦条約(1907年署名、日本は1911年批准)に反すると主張しています。より具体的にいうと、問題となるのはこのハーグ陸戦条約の附属書(ハーグ陸戦規則)第43条です。
占領地の現行法令を尊重すること
この条文によると、戦闘中に他国のある地域を占領した場合、その占領軍は、「その地域の現行法令」を尊重することになっています。
このことから、連合国が日本を占領していた時期に、GHQが大日本帝国憲法を変えることを求めて、新たな憲法の案を日本政府に対して"押しつけ"、帝国議会で審議させて現在の日本国憲法を制定させた行為は、「その地域の現行法令」を尊重しなかったことになるので、ハーグ陸戦条約附属書43条に違反するのではないか…というのが国際法違反説の主張です。
果たしてどう考えるべきでしょうか。
「占領地の法令の尊重」は絶対ではない
まず一般論として、43条は「絶対的に妨げられることがない限り、その地域の現行法令を尊重しつつ、可能な限り公共の秩序と安全を回復し確保するため、自らの権能においてあらゆる措置を取るものとする。」という書き方になっていることから、占領された地域の現行法令を絶対的に変更してはならないことまで要求するものではないと考えられます。どうしてもやむを得ない場合は法令の変更も可能と解釈することができるでしょう。
日本の占領統治はハーグ陸戦規則の適用対象外
次に、1945年以降の連合国による日本の占領統治は、そもそもこのハーグ陸戦規則の適用対象ではないと考えることができます。
というのは、ハーグ陸戦規則は、あくまで交戦中の国同士を規律するもので、戦闘が継続している中で自国の軍隊が他国の一定地域を占領したようなケースを前提としていると考えられるからです。例えば第二次世界大戦中に日本軍が中国の都市を占領したような場合がこれにあたるでしょう。
これに対して連合国が日本を占領統治したのは、交戦中に戦闘行為を行いつつ占領したわけではなく、あくまでもポツダム宣言を日本が受諾して戦闘行為を相互に終了させ、占領統治を受け入れたことが根拠となっています。つまり、日本が占領される時点で既に戦闘は終わってしまっていたのですから、戦闘状態を前提にしたハーグ陸戦規則はもう適用されない状況だったと考えることが可能になるわけです。
ハーグ陸戦規則よりもポツダム宣言受諾が優先される
またはこうも考えることができるでしょう。国際法の法源の重要な一つは、条約です。
ハーグ陸戦規則ももちろん一つの条約であり、条約は国家の間の合意です。一方、ポツダム宣言を日本が受諾したのも、日本と連合国の間の合意と考えることができるでしょう。
そうなると、ハーグ陸戦規則(1907年署名、1911年に日本批准)よりは、1945年のポツダム宣言受諾の方が、より新しい(しかも個別の事情に応じた)合意なのですから、「新しい合意は古い合意に優先する」とか「特別法は一般法に優先する」という原則により、ポツダム宣言受諾の方がハーグ陸戦規則よりも優先されることになります。
結論
以上のように考えてみると、占領中の日本に対してGHQが憲法案を示して新たな憲法を制定させた行為を国際法違反だということはできないことになるでしょう。
なおポツダム宣言の受諾と日本国憲法の関係については、以下の記事もお読みください。
参考文献
芦部信喜『憲法』(第7版)岩波書店
芦部信喜『憲法制定権力』有斐閣
松村昌廣『「無条件降伏」とハーグ陸戦法規』(桃山法学 第17号)桃山学院大学
よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。