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一番わかりやすい憲法の「八月革命説」の話

はじめに

 日本国憲法の話でよく出てくる八月革命説については、このnoteでも過去に何度か触れましたが、やや特殊な話題ということもあり、かなりわかりにくいところがあったかも知れません。

 このテーマはいろいろな説明の仕方があると思いますが、今回の記事では、私なりに可能な限りわかりやすく説明してみることにします。

「主権者」は漫画家、「憲法」は漫画作品

まず議論にあたっては、次の二つのレベルを分けて考えます。

レベルA. 憲法を制定できる権力を持つ者=主権者
レベルB. その主権者が作った憲法


 読むとわかると思いますが、論理的にはまずレベルAがあって、その次にレベルBが出てくる構造になっています。
 つまり、憲法(レベルB)によって主権者(レベルA)が誰か決まるのではなく、まず主権者(レベルA)が誰か存在していて、その主権者が憲法(レベルB)を決めるという順番なのです。

 喩えていうと、レベルAの主権者は、いわば漫画家であり、レベルBの憲法は、いわば漫画作品です。論理的な順番としては、あくまでも漫画家が漫画を作るのであって、漫画が漫画家を作るわけではありません。

帝国憲法の場合は天皇=漫画作者

 大日本帝国憲法の場合は、レベルAが天皇、レベルBが帝国憲法ということになります。漫画作品(=帝国憲法)は、漫画作者(=天皇)が描いた作品というわけです。

 帝国憲法(漫画作品)によって主権者(漫画家)が誰か決まるのではなく、天皇がもともと主権者(漫画家)だ(とされている)からこそ、その天皇が帝国憲法(漫画作品)を作った…という理屈になっているという点に注意してください。

憲法改正とは、漫画作品の修正

 このような喩えでいえば、憲法改正とは、漫画家が漫画作品に修正を加えることだと考えれば良いでしょう。
 漫画家が自分の作った漫画作品に対して、キャラや背景の描写、さらにはストーリー展開に関していろいろと修正をするのが憲法改正というわけです。

日本国憲法は帝国憲法の「改正」手続で出来たが・・・

 さて、占領下の1946年4月に日本初の男女平等選挙が行われた後、帝国議会は大日本帝国憲法の改正案を審議して、その結果として日本国憲法が制定されました。

 これは、上の理屈でいえば、手続的にはあくまでも大日本帝国憲法の改正規定(帝国憲法の改正規定は73条です)に従った改正手続ですから、レベルB=漫画作品の部分の出来事ということになります。

 先ほど述べたように、憲法改正とは、漫画を修正する行為に喩えられることを思い出しておいてください。

漫画の修正のはずが、漫画の作者までが変わっていた!

 ここで一つおかしなことに気づかないでしょうか。

 大日本帝国憲法は、天皇主権を前提とした憲法でした。
 ところが、その帝国憲法を改正して作られた日本国憲法は、主権在民、すなわち国民主権です。
(現実に草案を作ったのはもちろんGHQですが、議会の審議・修正を経て完成した日本国憲法の内容は、あくまで国民が主権者であり、国民が最終的に憲法のあり方を決める権限を持つという前提になっていることに注意してください。)

これは一体どういうことなのでしょうか。

 先ほどの話でいうと、帝国憲法の改正とは、レベルB=漫画作品についての修正だけを行うことなのに、レベルA=漫画家のレベルで変動が起こり、漫画作者が天皇から国民に変わったことになりますが、これはおかしいと思いませんか。

 漫画作品の修正作業(=憲法改正)では、漫画作品(=憲法)を変えることはできても、漫画作者(=主権者)を変えることまではできないはずです。それなのに、なぜか漫画の作者まで変わってしまって、別人になったわけです。なぜこのような現象が起こってしまったのでしょうか。

憲法改正ではなく革命が起こった!

 これは、憲法改正のように見えて、実は憲法改正ではなく、一段上のレベルの変動、つまり「革命」が起こったのだと考えれば良いのです。

 憲法改正では、漫画の修正しか本来できないはずなのに、漫画の修正をするだけのふりをして、実際は漫画の作者そのものを別人に交代させてしまったと考えるのです。

 憲法改正が漫画の修正だとすれば、革命は作者の変更です。

 ここでいう「革命」とは、法的に主権が別な存在に移る(ここでは天皇から国民に移った)現象をそう呼んでいるものです。
  現実に民衆の暴動とか内乱が起こって政権がひっくり返ったというわけではないので、政治学や歴史学で一般にいう「革命」とは同じではありません。

革命(=漫画家の交代)はいったいいつ起こったの?

 この法的な意味での革命が起こったのだとすれば、それはいつの時点かというと、現実に帝国憲法の改正手続が議会で行われた時(1946年)ではなく、もっと前ということになります。
 なぜなら、漫画の修正作業(=帝国憲法の改正手続)で漫画作者を変えることなどできないし、漫画作品がどう修正されても作者が誰であるのかに影響を与えることはないのですから、作者=主権者の変動は、もっと前に起こっていなければならないからです。

 それが1945年8月のポツダム宣言受諾のときだと考えるのが、八月革命説です。

 この説は、ポツダム宣言は国民主権の確立を要求するものだったと考え、それを日本政府が受諾した時点で、国民に主権が移動したと考えます。

 ポツダム宣言の12項は、「日本国民が自由に表明した意思による政府の設立」を求めるものでした。「天皇の意思による政府」ではなく「日本国民の意思による政府」とすると、これは天皇主権を否定することになり、大日本帝国憲法の原則に反することになります。大日本帝国の天皇主権の原則を否定するならば、それは革命と呼んで良いでしょう。そうなると、新しい憲法を作るよりも早く、まず1945年8月に革命が起こったという解釈が可能になるのです。

 つまり、1945年8月の時点で国民に主権が移り(=つまり漫画の作者が代わり)、そのあとは、形の上では帝国憲法の改正の手続だったけれども、実際には主権者になった国民(=新しい漫画作者)が、1946年の帝国議会の審議を通じて、まったく新たな憲法(漫画)を制定したと考えるわけです。

 言い換えれば、単なる漫画の修正(憲法改正)のように見せかけて、実は作者(主権者)が交代して別な作品を描き始めた(=革命)というわけです。

八月革命説を考える本当の意味

 以上の説明に対しては
「そんなのは単なる言葉使いの遊びではないか。現実の政治論には影響はない」
「革命と呼ぶか、憲法改正と呼ぶかは定義の問題にすぎない。どっちでもいい」
などという反論がありそうですが、この八月革命説にはもう少し実際的な意味があります。

 それは、現在の日本国憲法が
①大日本帝国憲法が単に形を変えただけのもので過去から連続していると見るか
②そうではなく、根本的な理念とか原理の面で、帝国憲法から断ち切られて新しく出発したものと見るか

その態度決定に大きくかかわってくるからです。

 もちろん現実の日本は、1945年8月の前後でも、天皇は変わらず、政府機構も大きくは変動せず、また社会を構成する人間とか文化という観点でも連続していて、別にすっぽり入れ替わったわけではありません。

 それでもあえて八月革命説を取るということは、国家の理念とか原理という観点では、過去からの切断を意識するということを意味するのです。
 かつては天皇が主権者で、政治は天皇の権威によって正当化されるものであったのが、国民が主権者で、国民の権威によって正当化される政治に変わったのであり、そこに切断があるのです。
 (この意味で、「現代の日本は、天皇には権力はないが権威がある」という主張は正しくありません。日本国憲法前文は、国政の権威が国民に由来することをうたっているからです。)

 それは、大戦後の日本国の最高法規である憲法が、もはや過去とは違う作者によって描かれた別な漫画作品なのだと考えるということです。

 我々が生きているのは革命後の世界であり、帝国憲法の世界は革命によって切断され葬られた革命前の世界なのだと日々考え続けるということにこそ、八月革命説の意義があります。 


よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。