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自民党の改憲案は「法治主義」「権力分立」に反する件

はじめに

 前回の記事で取り上げた百田尚樹氏の新刊『百田尚樹の日本国憲法』では、憲法を改正して緊急事態条項を導入すべきことについても述べていました。国家の非常時には法律をいちいち作っていられないし、かといってあらかじめすべてを想定した法律を作っておくのも困難だから、いざという時には迅速に政府が動けるように、憲法を改正して緊急事態条項を入れるべきだ、という主張です。

 この憲法の緊急事態条項の問題については、過去にこのnoteでも何度も触れているのですが(例えばこちら)、ここで改めて整理しておきます。

法治主義の原則

 まず議論の前提として「法治主義」の概念をここで確認しておきましょう。
 一般論としていうと、行政には法律の根拠が必要とされています。これが「法治主義」と呼ばれる原則です。この記事の議論からみて最も重要な例としていえば、公権力が市民の自由や権利を制約するには、法律の定めが必要とされています。
 (★正確にいうと「行政が、市民の自由や権利を制約しない場合でも、法律の定めが必要なのか」という問題がありますが、この点は最後のところで少し触れます。)

 「法治主義」というと、「社会に生きている者はみんな好き勝手なことをしてはならず、法律を守らねばならない」というような意味で理解している人もいますが、もともと法律を市民が守ることは当然の前提であって、それだけの意味ならわざわざ取り上げて「●●主義」などと呼ぶまでもありません。

 法律学で使う「法治主義」の意味としては、そういうレベルの話ではなく、「公権力は法律に従って権力を行使しなければならない」「法律の根拠もなく公権力が使われてはならない」等という意味で用いられるのが普通です。

権力も法律に従わねばならない

 どんな時代でも王様とか殿様などの公権力が民衆を法(掟とかお触れとかご法度とか)によって統制することはあったでしょうが、前述のように、これだけなら別に「法治主義」とわざわざ呼ぶ必要はありません。「法治主義」というからには、公権力自身も法によって統制されなければならない、という考え方があるわけです。

 そして民主主義国家では、法律は国民から選ばれた議会や国会によって制定されます。つまり国民の代表者である議会が審議して十分検討して作った法律の根拠がなければ、公権力が市民の自由や権利を制約することはできないというわけです。

法律も憲法に従わねばならない

 ただし、法律で決めさえすればいくらでも自由や権利を制限できるというわけではなく、そこの歯止めが憲法です。つまり、自由や権利を制限するには法律に基づかなければならないだけでなく、さらに、その法律自身も憲法に違反してはならないこととされています。

 どのような自由や権利の制限なら憲法に違反するかが問題となりますが、これは一概には言えることではなく、大雑把にいうと「そもそも何の目的のために自由や権利を制限するのか」「どのような自由や権利をどの程度制限するのか」などから判断することになりますが、これはこれで非常に深いテーマですので、ここでは立ち入りません。

 ただ、少なくとも自由や権利を制限する目的そのものが不当であったり、正当な目的の達成のためであってもそのために必要のないような制限であれば、憲法違反と判断されると言って良いでしょう。

自民党の改憲案

 さて、自民党の改憲案(ここでは、2012年の案ではなく、2018年のたたき台素案)の関係する箇所を見てみましょう。ここでいう「緊急事態条項」は、以下の一連の条文のことを指すこととします。

第73条の2
 (第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

 「政令」という言葉が出てきますが、これは、内閣が閣議で決める命令であり、現在の憲法では、国会が決める法律よりは効力が劣っているものとされています。

政令が法律と同じ効力を持つ

 さて、上記の自民党の改憲案は、間接的な言い方ではありますが、「緊急事態で、国会で審議して法律を制定するのを待っていられないときには、内閣が、国会の制定する法律の代わりに、それと同じ効力をもつ政令を制定できる」と言っているのと同じことです。
 (仮にそうではなく、法律よりも劣った効力の政令しか作らないのであれば、それは現在と同じことであり、わざわざ憲法を改正する意味はありません。)

法律なしに、内閣の独断で自由や権利を制約できる

 自民の改憲案でこの条項が導入されると、どういうことが起こるでしょうか。

 先ほどの法治主義の話を思い出してみましょう。法治主義の原理からいえば、市民の自由や権利を制限するには、国会の定める法律が必要です。
 ところがこの改憲案では、政令(=内閣だけで決める)が法律(=国会が決める)と同じ効力を持ってしまうのです。
 つまり、内閣は、国会の定めた法律がなくても、政令だけによって、法律が決めているのと同じように、市民の自由や権利を制約することができるようになるのです。

 例えば「●●の義務に違反した者は、3年以下の懲役に処す」という罰則も、国会の審議なしで、内閣の一存だけで決めてしまえるというわけです。

 これが法治主義に反するものであることは、先ほどの説明からすぐわかるでしょう。

 市民の自由や権利を制限するルールを作るというのに、その妥当性について、国民の選んだ代表者から構成される国会での審議を通さず、内閣総理大臣と各大臣たちだけで決めてしまって良いのでしょうか。

新型コロナ対策の議論と混同しないこと

 なおこの記事を書いている現在、新型コロナ対策のコロナ特措法改正で、罰則を設けるかどうかの議論が行われています。

 これは、国会の定める法律によって罰則を設けるかどうかということであって、先ほど述べたとおり、市民の自由や権利を制限するためには法律の定めが必要だという法治主義そのものです。

 これに対して自民党の改憲案は、国会の定める法律もなく、内閣がいきなり自分たちだけで決めた政令によって罰則を設けることも可能になるものであって、まったく次元が違う問題であるということに注意してください。

 「コロナ対策のためにも、自民党の改憲案が必要だ」などという主張をする人もいますが、これは両者の異なる次元を混同させて、とんでもないミスリードとなる恐れがあるのです。 

権力分立にも反する

 さらに、実質的には内閣が法律を作るのに等しいことになるわけですから、「行政は内閣、立法は国会、司法は裁判所」という権力分立(三権分立)にも反するということになります。
 法律は、国民が選んだ議員からなり国会が制定し、内閣にはそれを決める権限がないとするのが権力分立です。
 法律を決める部門と、その法律に基づいて公権力を行使する部門が同じだったら、自分の都合の良いように法律を決めて、それに従って権力を行使することになり、歯止めがきかなくなってしまう恐れがあります。そこで、法律を決める=立法は国会の権能として、行政をつかさどる内閣とは分けているわけです。

 内閣が、国会を通さず、法律と同等の効力を持つ政令を作れてしまうのでは、この権力分立が失われ、まさに内閣の権力に歯止めがきかなくなりかねません。

いつまで法治主義や権力分立に反する状態を続けられるの?

 さらに検討を続けてみましょう。自民党の改憲案では、このように、内閣が法律ではなく政令で市民の自由や権利を制限できてしまうという異常な状態は、一体いつまで続くのでしょうか。さきほどの73条の2の続きの第2項には、次のように案が書かれています。

 (第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

 これは国会の事後承認を得なければならないということです。国会の承認を得られれば、後付けとはいえ、国会が法律を制定したのと同じことにはなるでしょう。

 とはいえ、この条項は欠陥だらけです。仮に国会の承認を得られなかった場合は、どうなるのでしょうか。効力を失うのでしょうか。そうだとすれば、いつの時点から効力がなくなるのでしょう。この点について何も定めがありません。国会の承認を得られなくても効力自体はなくならないようにも読めます。これだけでは何の歯止めもありません。

国会が召集されなければいつまでも内閣の異常な権力が続く

 さらにもう一つ、致命的な欠陥があります。そもそも事後承認を得るための国会は、いつ召集されるのでしょうか。
 憲法上、国会の召集を実質的に決めるのは内閣とされています(儀礼上の召集行為は天皇)。つまり、内閣が国会の召集を遅らせれば、国会審議を受けないままで先送りできてしまうのです。(現に、臨時国会の召集を内閣が行わなかったという問題が、近年いくつも起こっています。)
 現実問題としては、次年度の予算の関係から、遅くともその次の通常国会は召集せざるを得ないでしょうが、かなりの期間、このように内閣に立法権を取り上げられたような状態を続けることも可能になってしまうのです。

内閣の権限が大きくなりすぎる

 自民党の改憲案では

 ①そもそも日本に緊急の事態が起こったのかどうかは、内閣が決める
 ②その結果、法律と同じ効力を持つような政令(=自由や権利の制限もできる)を、国会審議抜きで、内閣だけで決められる
 ③②については国会の事後承認が必要とされるが、その国会をいつ召集するかも、内閣が決める

  
 ということになっていて、内閣の権限があまりにも大きくなりすぎ、結局のところ、内閣がほしいままに立法権を自分のものにして、法治主義や権力分立を破壊することも可能になってしまいます。

(なおこれとは別に、自民党の改憲案では、国会議員の任期を延長することができるようになる条項も設けられており、上記の内閣の行為に対して民意を問うこともなく与党の勢力をどこまでも維持し続けることも可能となっています。)

ドイツの緊急事態条項との対比

 「そうはいっても、ドイツなどでも緊急事態条項にあたるものが憲法にあるではないか」という人がいるかも知れませんが、ドイツの憲法にあたる基本法では、緊急事態条項(原語はVerteidigungsfallで、「防衛出動事態」とか「防衛事態」などと訳されているようですが、ここでは「緊急事態」と呼んでおきます)にあたるものは、次のように定められています。

①緊急事態にあたるかどうかは、連邦議会が確認する。但し武力攻撃が行われて確認する余裕がない場合は、攻撃がなされた時点で確認が行われたものとみなす
②緊急に法律の制定が必要な場合は、議会の代わりに、議員の一部から構成される合同委員会が制定できる(内閣の一存で制定できるわけではない)
③連邦議会は、いつでも緊急事態の終了を宣言できる(つまり内閣の意向に関係なく、議会が強制終了させることができる)

 以上のとおりで、このドイツ基本法の緊急事態条項に比べると、自民党の改憲案は、内閣の判断だけで行うことができる範囲があまりにも広すぎ、内閣に独裁権を与えるに等しいことになりかねないことがわかるでしょう。

 『百田尚樹の日本国憲法』をはじめ、いろいろな論者は「緊急事態に備えて、あらかじめすべてを想定した法律を作っておくのは無理だから、憲法で内閣に大きな権限を与えるべきだ」というのですが、すべてを想定した法律を作っておけないからといって、内閣にすべての権限を与えるような行為をするのも愚かなことです

現実問題としては緊急時にどうすれば良いのか

 さて、現実問題としては、憲法改正というよりも、まずは可能な限り様々な緊急の事態に備えた「法律」を制定しておくことが重要でしょう。災害対策基本法などの法律は現在も存在しています。

 法律で想定していない事態が起こった場合はどうするかということが問題となりますが、これは場合を分けて考える必要があるでしょう。

 まず、市民の自由や権利を制限することなく行える対策は、必ずしも法律がなくても行うことができると一応は考えることができます。これは「法治主義」という概念の範囲にもかかわる問題です。
 「市民の自由や権利を制限する行為は、法治主義の原則により、法律の根拠がなければできないが、市民に恩恵をもたらすだけの行為であれば、法律の根拠は必要ない」という考え方も、十分成り立つでしょう。

(★最初の部分で触れたように「行政が自由や権利を制限しない場合は、法律の根拠が必要ないのかどうか」という点については大きな議論があるのですが、簡略化のためここでは立ち入りません。)

 例えば、税務署長が国民から税を徴収したり滞納者の財産を差し押さえることは、まさしく自由や権利の制限の一種ですから、法律の根拠がなければできませんが、政府が国税庁長官を通じて、税務署の建物や敷地に災害などの避難民を緊急に収容するよう指示することは、別に自由や権利を制限するわけではないのですから、法律の根拠がなくても不可能とは言えないでしょう。

どうしても緊急でやむを得ず法律に反する行為をする場合は?

 このような解釈でもカバーできないような、現存の法律の趣旨に反するような行為を緊急の救助などのために行わねばならなくなった場合は、刑法の「緊急避難」に関する条項を適用することが考えられます。

第三十七条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

 これにより、災害などの緊急時に、国民の生命・身体・自由または財産を保護するためにやむを得ず、公務員が既存の法律に反する行為を行ったとしても、違法性はなく処罰の対象としない…という形で処理することができるわけです。

 「憲法に緊急事態条項を決めておかないと、いざというときに、憲法の枠内で動けなくなるから、そうなったら、もう憲法を無視して国家緊急権を認めざるを得なくなる」と主張する人もいますが、国家緊急権などという概念をわざわざ作ることなく、単に緊急避難という形で、行為を行う公務員に違法性がないこととすれば足りると思われます。

残された問題

 上記の自民党の改憲案は、非常時に(正確には「内閣が非常時だと考えた時に」)、内閣が国会抜きで物事のルールを決めて動けるようにすることを目指したものですが、これまで述べてきた理由でこの案は肯定できないとして、それでもなお、残された問題は存在します。

 それは「内閣が崩壊したらどうするのか」という問題です。非常時に内閣が国会抜きで動けることよりも、国会が内閣抜きで動けることを考える方が先決ではないでしょうか。
  現在の制度では、国会が閉会中に内閣が災害などで全滅した場合、国会の召集を決められる者がいなくなってしまいます。内閣が全滅した場合、新しい内閣総理大臣を議員の中から選ばなければならないのですが、そのためには、国会の召集を誰かが決定しなければなりません。内閣が存在しなくなった場合、誰が国会の召集を決めるのでしょうか。

  この問題の解決は考えておいた方が良さそうです。一つの答えとしては、国会が内閣の意向と無関係に自主召集できる制度を作ることでしょう。
  国会が自主召集できるようにすれば、安倍政権や菅政権で問題となったように、内閣が臨時国会の召集を決定せずに長期間放置するような病理現象も起こらなくなります。

  (この点については、以前のこちらの記事も参照ください。)


 

 

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