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『百田尚樹の日本国憲法』という本は、どこがおかしいの?

はじめに

  作家の百田尚樹氏が『百田尚樹の日本国憲法』という本を祥伝社新書から発売し、結構売れているようです。今回は、この本が憲法についてどのようなことを説明しているのか、またどのような問題があるのかについて簡単に触れてみます。

 最初に断っておくと、『百田尚樹の日本国憲法』では、「そもそも一般論として、憲法とは何なのか」とか「憲法とは何のためにあるのか」「憲法の果たすべき役割とは何か」等の基本的な問題については、一切何も触れていません。いきなり「日本国憲法はおかしい」という話から突然始まります。

内容の概略

 全体の構成は、おおむね次のとおりです。

 まず「第1章 日本国憲法はおかしい」では、日本国憲法が制定後に一度も改正されていないのは世界の中でおかしいとか、憲法改正手続に厳格な要件が必要とされているのは不当だとかいうことが書いてあります。

「第2章 第九条に殺される」では、憲法九条をめぐる著者なりの感慨や、憲法九条の護持をうたう人々への非難が書かれています。(まるで現在の日本が憲法九条によって非武装国家になっていて不安だと言わんばかりの口調ですが、もちろん現実の日本は非武装国家ではありません。)

「第3章 この国はどうやって守られてきたか」では、古代の白村江の戦いから幕末に至るまで、外国の脅威に立ち向かったエピソードが並べられていますが、日本国憲法とは直接の関係はない話ばかりです。

「第4章 日本における『天皇』の存在」では、日本の歴史で天皇が重要な存在であったという話から、女系天皇を認めてはならないという主張で締めくくっています。「女系天皇になると別王朝になるからダメだ」というのですが、著者の立場では、男系でつながらないものは女系でつながっていても別王朝だと考えているようなので、結局のところ「女系天皇はダメだ。女系天皇だと別王朝だからだ」というのは、何の説明にもならない、単なるトートロジーであるように思われます。

「第5章 憲法誕生時に仕掛けられた罠」では、占領下で日本国憲法が作られた際のエピソードがいろいろと並べられています。短期間で日本国憲法の原案が作られたことについての非難が並べられていますが、その前提として、日本政府が自主的に作ろうとした松本委員会の案が、いまだに天皇の統治権を残し旧態依然の案であったことについてもわずかながらに触れています。なお必ずしも正確ではありませんが、八月革命説についても紹介されています。(実はよく読んで見ると、この百田氏の紹介でも、八月革命説については一応それなりに筋のとおった考え方であることが伝わらないわけではありません。)

「終章 今こそ憲法改正を!」では、主に安全保障上の観点から、9条を中心とした改正を唱えています。

この本についての論評

 この本の内容に沿って全体的に論評するのが一番良いのですが、そこまでの余裕はありませんので、非常に気になった部分を一つピックアップするにとどめておきます。

 この本は『百田尚樹の日本国憲法』と銘打っていますが、憲法のテーマ全体について触れているわけではなく、ほとんどが「日本国憲法の成立時の事情」「憲法九条」「天皇」の三つの話題だけで終わっています。

日本国憲法の中核となる価値

 しかしながら日本国憲法の最も重要な点は、人間一人一人に重要な価値があるものであるとして個人の尊厳を中心におき、その個人の尊厳を守るために基本的人権を定め、その基本的人権を国家が侵害できないように定めていることです。

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

基本的人権について何も書いてない!

 ところが『百田尚樹の日本国憲法』では、憲法が基本的人権を保障していることについては一切触れていません。まるで天皇と第九条しか憲法には存在しないとでも思っているかのようです。

 当然、次のような条文についても、この本では一切触れることがなく、まったく無視されています。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

憲法を押しつけられたのは政府

 なおこれらの条文は、帝国憲法にはまったく該当するものが存在しませんでした。つまりGHQによって日本国憲法を「押しつけられる」までは、日本にはこれらを保障する憲法は残念ながら存在しなかったのです。

 日本国憲法がGHQによって押しつけられたというのであれば、「旧・大日本帝国の政府が、国民の人権をもはや勝手に侵害できないように、憲法を押しつけられた」というのが適切ということになるでしょう。 

憲法改正手続が簡単だったら困る!

 このように日本国憲法が基本的人権を保障する重要な役割を果たすのだとすれば、簡単に改正できては困るということになります。安易に改正できるなら、改悪されてしまう恐れもあるからです。

 だからこそ国会で憲法改正の発議をするにあたっては、単なる過半数ではなく2/3という特別の多数決を要求し、慎重な審議を求めることとしているわけです。日本国憲法の改正手続が厳格で大変だというのは、民主主義自身の誤りにより基本的人権の保障を損なってしまう可能性を少しでも下げる(人間のやることですから、ゼロにはできません)ためなのです。

 ところが『百田尚樹の日本国憲法』では、この基本的人権の保障という憲法の重要な役割を一切無視しているので、なぜ憲法改正の手続が厳格になっているのかも理解できず、ただ単に「憲法改正のハードルが高すぎる」と文句を言っているだけなのです。

緊急事態条項の問題

 またこの本の第1章では、憲法に緊急事態条項をもうけて、非常時に政府に「超法規的」な権限を与えるべきだと主張しています。しかしそのようなことをすれば基本的人権の保障が失われ、権力が悪用される危険が起こる恐れがあるのですが、基本的人権の保障という観点がこの本にはまったく存在しないので、そういう問題意識も一切ありません。

第9条の話ばかりでは困る

 この『百田尚樹の日本国憲法』では、「本書を手に取ってくださった皆さんは、日本国憲法を読んだことがあるでしょうか。まだ読んでいない人は、前文と第九条を読めば十分です。それだけで、この憲法がいかにおかしいかがわかるからです。」(P17)と述べていますが、これでは、肝心の著者自身が、ほぼ前文と第九条くらいしか読まずに執筆したのではないかと疑いたくなってしまいます。

憲法は国の「死生観」を反映するべきものなどではない!

 最後に、百田氏の憲法についての考え方をよくあらわした一文を紹介しましょう。「憲法はその国の国家観、歴史観、死生観、あるいは文化や伝統などを凝縮したものであるべきです。」(P156)と述べています。国家観はともかくとして、憲法は「死生観」まで反映するべきものなのでしょうか。

 ここでまた憲法の条文(もちろんこの本では一切触れていない条文)を引用してみましょう。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(以下略)

 ここからもわかるとおり、死生観のように人間一人一人の生き方にかかわることについては、当然、日本国憲法は「思想及び良心の自由」「信教の自由」として、個人の自由に任せており、国による干渉を許さないこととしているのです。国の死生観などを憲法に反映などするわけがありません。

 このことからも、この『百田尚樹の日本国憲法』が、憲法について到底まともな知識を与えてくれる本でないことはよくわかると思います。

★なお文中でも触れた「八月革命」の問題については、以下の記事をお読みください。

憲法の全体的な入門書としては、次の本をおすすめします


さらに大戦後の日本国憲法の制定の過程や、憲法と天皇の関係については、私の著書をご一読ください。


よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。