『なぜオフィスでラブなのか』ご感想「日本版の『キム・ジヨン』はこの本かもしれません。」
韓国語BookCafe主催の吉良佳奈江さんに、西口想『なぜオフィスでラブなのか』のご感想を頂きました(2019年2月25日フェイスブックに投稿)。以下、ご本人の許可を頂きまして全文掲載させて頂きます。
日本版の『キム・ジヨン』(編注:チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』)はこの本かもしれません。
ウェブ連載がもとになった11の小説論と著者の家族史。というか、小説から読み取る文化人類学というか、Japan Studyの学生が読んだら面白いかもしれない。
データもあって、わかりやすく、よみやすい人文書。
あっという間に読んでしまって、もっと読めます、私。たぶん、1章あたりあの倍くらいあっても読めたと思う。あと、小説論を読むと、読みたい小説が増えて困る(若いころ読んだ『白河夜船』もう一度読んでみようかなあ、あのころのさびしい感じのよしもとばななは最高ですよね)
まず<オフィスラブ>というのが、日本はすごく多いらしいという事実も言われてみればそうだな、と納得するし、男性中心の日本社会で<オフィスラブ>が支配者側に利用されることも、すべてのセクハラはパワハラというのもすごくわかる。しかし、反撃の方法にもなりそうです。
読んでいてなんだか日本の社会は窮屈だな、って思いだしたのは『82年生まれ、キム・ジヨン』でした。
手に取りやすいかわいいサイズの本に、意外と衝撃を受けていろいろ考えた。
たぶん、私たちは女性も男性も労働が生きることの一部だと気づいている。そして願わくば、きちんと評価され、報酬を受ける労働がいい。
オフィスはそういう意味で生きることの一部、あるいは大部分のはずなのに、女性はラブして結婚したらそこから排除されてきた、という過去がモヤモヤの正体。
それに対して、どうせ排除される労働に深入りしたくない(=『白河夜船』)から、ラブとか性差にとらわれない幻想的な未来(=『プラトニックプラネッツ』)へと、ゆっくりだけど変わっていけるかな、いけるといいね、と並べてあるのが、読み終わってスッキリする理由かな。
労働団体勤務の著者の、誰も奪われない、誰も損なわれない生き方を目指すというメッセージを感じました。
私自身は大学の同級生と結婚しているので、同じスタート地点にいたのに、こんなに離されてしまって、と思うし、結果養ってもらったころには忸怩たるものがあるし、なんで私が家族のパンツを洗っているのか、とも思うわけです。
全く平等だと信じて疑わなかったところから、男女平等なんて幻想だ、と気づいてしまう落差というか。
落差という点では、おそらく私の両親にもあって。
主婦から内職を経てパート勤務だった私の母親が、それをどう思っていたかはわからないし、結婚しろとも勉強しろとも自立しろとも言われてなくて、それでも東京の大学まで出してもらって家庭に入ってしまったことを、どう思っているのかな、と申し訳なく思うことがあります。自分の生き方と比べないまでも、私に期待していたことはあったのだろうと。パートナーに出会えて、子どももできてよかったね、と言ってくれるけど、本当にそれでよかったのかな。もったいない、って思ってないのかな、私は自分の生き方がもったいなかったな、と思うし、損なわれたなとも思って、取り戻すために奮闘中。
私はオフィス勤務をしたことがないので、今のオフィスがどのくらいの性差を残して/隠しているところかわかりません。
男女平等教育を受けてきて、現実は違うと気づくタイミングはどこにあるかと考えると、例えば医大受験だったり、就職活動だったり、結婚だったり、出産だったり、人によって違うと思うけど、『なぜオフィスでラブなのか』は、そのことを突いている。だから、衝撃を受けたんだと思います。
これから社会に出る人や、無邪気に恋愛している学生さんも読んだらいいと思いました。
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