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習慣の大切さを教えてくれたのは、服でした

わたしにも、したいけれど、できないコーディネートはあります。
できないわけではないが、理想のシルエットにならなくて、ガッカリしてしまうというのが正しいのかもしれない。
完全無欠なスタイルの持ち主だったら…と思うのは、いつも写真を撮る時に訪れます。

それでも、何とか上手く工夫して、いろんな角度から見て研究して理想に近づけると楽しくなる。
それもまた、写真を撮ることで得られます。

昨年夏以降、コーディネートのために写真を撮る機会がぐんと減りました。
前に住んでいた家がスタジオのように使えたため、毎日でも撮りたい時に撮れる便利な環境だったのですが、今の家は仕様上少し難しいのと、近所で撮りやすい場所がなかなか見つけられずで、まぁ、いいか…と撮影を見送っていました。

一度止まってしまうと復活させるまでに腰が重くなり、最近やっとまた撮る気持ちになりましたが、びっくりしたのが「撮り方忘れた」の境地に行っていたこと。
これは経験則で断言しますが、撮り続ければ写真も上手くなるし、自分がよく見えしっくりくる角度がわかります。
完全に忘れました。アカンやつです。。

前ならピンとしてしなやかな芯が入ったような立ち方ができたのに、撮っても撮ってもどこかふにゃっとした気の抜けた表情と体幹。
体自体は確実に昨年よりも鍛えられているのに…

人に会わなくなった環境も多少影響があるとして、それでも習慣を止めるとこうも変わってしまうのかとゾッとしました。
わたしは常に手を動かし、たくさんでなくても、継続する方が良いようです。
せっかくの素敵な洋服が、ガッカリスタイルで見栄えが悪くなるのは大変申し訳ない気持ち。
適切に、よく見せてあげたい。その点だけはプライドがあるので、イケてなかったら良くなるまで撮り直ししよう、と心に誓ったのでした。

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