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映画感想「パラサイト 半地下の家族」 水は地下へ流れ込む

水に流す、我田引水、覆水盆に返らず…など水に関する言葉が頭の中にとめどなく浮かんでは消える作品でした。

階級と生活レベル

「仕事があり、スーパーで深く悩まずに買い物ができる生活レベルが当たり前」と思い込むのは危険だ。普通という線引きが曖昧となり、見えない格差がボーダーライン上に広がりいくつもの階級が生まれているのは、現在の日本も韓国でも同じように思える。

スマホもあり、住む家もあると外見上は何とか生活できているように見える。けれど「それは自分で手に入れた電波ですか?その家はあなたがお金を払って手に入れた家ですか?」と問われると答えは人により変わる。

キム家は日銭を稼ぎながら暮らしている。家族全員定職に就いていないけれど、家族に悲壮感はあまりない。電波は上階住人のWiFiへ繋ぎ手に入れ、住む家は便所コオロギがよく出る半地下。半地下って不思議な空間で、地上の様子が目に入るけれど、地上にいる人と目線の位置が違うから目は合わない。高みの見物ならぬ“低みの見物”は違った位置から世界を覗き見しているような気分になる。友人の紹介で息子のギウがパク家の豪邸に入るまでは、もしかしたら半地下の生活でも家族はそれなりに幸せだったのかもしれない。

格差の街並み

舞台の韓国は言わずもがな日本に近い国であるが、日本以上に受験戦争が厳しく兵役もある。どこかで失敗したらジ・エンド的な圧力や世間の目が日本以上に厳しい世界であるからこそ、いわゆる格差がより大きく見える。映画で描かれる街並みの様子もアップダウンが激しい。長い階段を下りていくシーンやパク家に辿り着くまでの起伏は二つの家族の格差を表す象徴だろう。

おそらく裕福な家庭で生まれ育ち、沢山のハードルを越えて今の地位を手に入れた(もしかしたら親の金で越えてきたのかもしれないが)パク家は何も悪いことはしていない。ある意味、ああいう金持ちが経済を回しているとも言える。けれど生きているってことはそれだけで様々なものを犠牲にして汚し、その汚れたものは見えないどこかに流し込まなくてはならない。例えば、床に散らばった硝子の破片などはテーブルの下にとりあえず隠す。見えていなければ、金持ちはその存在にすら気づかない。

水は低いところへ流れ込む

昨年は日本でも大きな台風被害が起きたが、それに近いことが劇中でも起きる。水害は高台の豪邸では発生していない。半地下などの場所に住む選択肢しかない人達の所で起きた。水は低いところに流れ込むのだ。高いところで悠々自適に暮らしている人たちが使い古した汚水は、低いところで暮らす人の生活に流れ込み、身動きを取れなくさせる。

三層構造

地上と半地下という住まいの構造を、経済的な格差の対比としていたのはわかりやすかったが、驚くべきことにこの作品にはもう一つの構造があった。半地下の下には地下があるのだ。この三層構造に気づいた時には「地獄の下にも地獄」「底辺の更に底辺」と人はここから更に落ちる可能性があるという事実に愕然とした。半地下の人間が生活するために犠牲にして汚したものは、もっと地下に流れ込んでいくのだ。本当に、自分が見えている世界が全てではない。

キム家が姑息に豪邸に入り込んでいく様子は楽しいし、ハプニングが起きると物凄い緊張感を味わい、劇場で笑いも起きていた。でも、物語の行き着く先を見て、人間は経済的格差より本能的な差別とか人としての尊厳に何よりも動かされるということを思い知らされた。

日本でも一部の人だけが得をする利権や隠された事実等にまみれた汚水が溢れてる。それは格差という結果として私達が暮らすギリギリの地上や半地下に流れ込んできている。「幸福は金でしか手に入れられない」と子供達が思い込むことは悲劇だ。この作品を「外国の遠い出来事」「他人事」とはとても思えない。

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