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【保健体育】百薬の 長が操る 好不調

 「店の中で吸わせろとは言わねえけどさ、高い税金払ってんだから、せめて喫煙室くらい作ってほしいわ」と嘆きながら寒空の下から戻ってきたのは、私と一緒に京都へ転勤してきた冬の夏川さんだ。ちょうど店内禁煙の居酒屋が増え始めた頃であり、この十数年後には法制化される。「タバコ止めると太るって、アレ、何なんでしょうね?」と夏川さんに訊けば、「そら、メシが旨くなるからや、知らんけど。」と横槍で愛煙家の同僚が返す。すると嫌煙家の同僚が「メシが旨くなるって、じゃあ君たちは今、ボクと同じ物をどんな味で食べてるんだろうかって不思議になるよ」と感想を漏らす。咄嗟に私は煙草を吸わなかった10代の時期のメシの味を思い出そうと努力する。が、30代の今でも、メシも煙草も同じくらい旨いことを再確認する。そしてこの十数年後にはあっさりと禁煙に成功するが、メシの味は変わらなかったし、太ることもなかった。
 
 10代までは人への気遣いが出来れば出来るほど大人の証だと思い込んでいた節があるが、20代の十年間を経験してみて、そうでもないことに気付いた。適度にマイペースを保ち、聞き流すところは聞き流して、相手の求める時にだけ細やかに思いやる。力を抜く所は抜いてもバレないし、寧ろ力を入れる時のエネルギーを上手に温存しておかないと、大事な場面でパンクする危険性がある。10代の頃とは対極の考え方を習得し、配慮と無遠慮を使い分ける大人へと成長させてくれたのは、B型人間の存在だ。血液型で性格が大別できるなんて大嘘だと意地を張る人もいるが、やはりB型の人は分かりやすい。というか、科学的根拠とは全く無関係に、社会には「B型」というタイプに分類される人々が居ると理解すべきだろう。
 まず、思いついた事を思いついた時に言う。それも主張や要求のトーンが強い割には忘れっぽく、数時間経つと別の話に転換したりする。頭脳明晰で、鋭い考察を述べることがあるのに、自分の発言の結果や周囲への影響には細やかな配慮をしない。そして自分のことは棚に上げて、自分と似たようなB型人間を批判する。大雑把なイメージを語るのは得意だが、それを丁寧に具現化していくのは不得意だ。それなのに具現化のプロセスにやたらと首を突っ込みたがる。・・・ここまで論じると、何だか凄くイヤな人のようだが、実はB型人間が傍に居ることで有難い部分もある。まず、失敗には寛大だ。というよりも、忘れっぽいので、後を引摺らずに次の仕事に入れる。主張や要求は強いが、その思いに応える仕事をしたときの喜び方は陽気なO型人間以上であるがゆえに、A型人間の典型と言われている私のやる気も増幅する。
 私の職場は部長、副部長、次長、課長はじめ私以外の全員が見事にB型だ。これは血液型のB型でもあるが、これが可笑しいほど正真正銘の「B型人間」の集団だったのだ。「B型でもないと、やってられない業務なんだよ!」といった調子で、B型の悪いところを自覚していながら修正する気配すら見せないタフさが勉強になる。A型には耐えられない苦痛を与えることがあるので、その不満をB型へストレートにぶつけることもあるが、こちらが何を言っても次の日には何ら蟠りなく仲間として受け入れてくれるところがある。A型同士の人間関係ではこうはいかない。20代の十年間で「鈍感」という薬を服用してみて、その副作用に動揺しつつも、10代の十年間で身につけた「敏感」だけでは世渡りの武器として不十分であることに気付くことが出来たわけである。
 
 この日も居酒屋にB型人間が集結する。Aは私一人。「酔っ払うと、夜中に喉が渇くやん。いや、此間な、朝起きたら口の周りがベトベトしとんねん。でな、もう嫁が『冷蔵庫の扉が開けっ放しやった』って物凄い剣幕やねんか。水と勘違いしたんやろな。マヨネーズのフタも開けっ放しやねん。いや、ホンマやて。寝ぼけまなこでチューチュー吸っとったんやろな。やっぱり酒は麻薬やと思うたわ。」「二日酔い言うのも失敗の基やな。いや、此間な、ボーっとしててん。いつもの電車がホームに着くやんか。えっ?せやから、会社に行くまでの話やて。ドアが開いて中に入るやろ。一瞬、職場に入ったんと勘違いしたんやろな。元気よく『おはようございます!』って言うてしもうたんや。もう恥ずかしいなんてもんちゃうで。車内中の客が一斉にこっち向くわけや。そらそうよ。ウチの地元の駅や。出勤ラッシュなんか言うたかて知れとるがな。ほぼ全員が同じ時刻に同じ車両へ乗るメンバーや。お互い顔まで分かるさかい、問題は翌朝どうするかや。電車を変えるのも癪や。田舎やから乗り継ぎが悪いねん。せやけど毎朝『おはようございます!』言うのも変質者やんか。何も言わんと乗れば、昨日の間違いを認めることになるしなあ。結局な、隣の車両にしてん。この時ばかりはな、いっくら田舎いうても二両編成で良かったぁって、鉄道会社に心底感謝したわ。」・・・夏川さんの小噺も聞きたかったが、またもや縄暖簾の外へ煙草を吸いに行ってしまった。
 この日は残業帰りの一杯だったが、遅い時間まで店内は満席だった。掘り炬燵の隣の客はすでにサラリーマン生活を引退したご隠居グループのようだった。飽きもせずエイヒレを咀嚼しながら、「町内会の代表を引き受けたばかりに、お伊勢参りの幹事に難儀した」だの「趣味の畑仕事のために農具の倉庫を整理していたら、出征兵士を送る旗とかが出てきて、そんなもん一掃しろと怒鳴る老妻とケンカして、結局、古美術商に来てもらった」だの、「それでも、古いけど質の高い墨なんかが一緒に出てきて、文化センターや学校に寄贈したら、お礼に美味しい蜜柑を貰った」だの「腐葉土を作るための落葉拾いで腰を痛めてしまい、初っ端から畑を耕すどころではなくなってしまった」だの、そんな話に夢中の様子だった。こういう年寄りの話に耳を傾けていると、「都会育ちの陸でなしで、競馬とパチンコの話しかせず、酒の呑みすぎで短折してしまった私の父」と「田舎育ちの勤勉者で、会社でも地位を築いて、定年後は地元に戻り世話焼きを楽しんでいる好好爺」とでは、全く人種が異なることを痛感する。酒も怖いが、人を形作る環境というのも怖い。
 
 二軒ハシゴしたあと、締めのラーメン屋まで残ったのは、結局、夏川さんと私だけだった。私はとうとう私が生まれた時の父の年齢に追いついたが、未だに母のような立派な女性を見つけていない。あんなにどうしようもなかった父よりも、私のほうがまだまだ未熟だ。「父親を超えられないというのはこういうことなんでしょうね。」と呟いても、夏川さんは脂で薄汚れたメニューを指差し「このチャンコラーメンってのが、オススメなんだぜ。」と正に食指を動かしている。これぞB型人間の有難みである。
 ただ只管話しているだけ。ただ只管聞いているだけ。何の問題提起もしない。これが居酒屋トークの流儀である。人はいくら成長したところで、必ず死ぬ。死ねば成長がリセットされるので、人類はいつまでも未熟である。居酒屋っていうのは、人類の未熟を再確認する場所なのだ。どうせ暇つぶしの人生なら、長い人生のうち2時間くらい仲間と居酒屋で過ごしたってバチは当たらない。そうやって、どんなことも是とすることで非が無くなっていき、体が酒に麻痺してきたら、スナックでさらに1時間を過ごす。最後にラーメンで締めくくる頃には、狭量な己の人生にも寛容になれる。サラリーマンはこの繰り返しだ。
 「へえ、チャンコラーメンですか。じゃあ、チャンコラーメンと瓶ビールで!」「バカ言っちゃいけねえ。ギョーザも頼みたまえ、弟弟子よ」「ごっつあんです!」チャンコラーメンがどんなラーメンなのかも問わずに注文した私が調子に乗って力士のモノマネをしているところへ自動ドアが開く。虎落笛の向こう側から暖かい店内に入ってきたのは、まさに力士のような巨漢だった。「チャンコ。巨大。」それだけ告げると、店主が麺を茹でている間に、150キロ以上は超えているであろう重厚感のある躰がユラユラと揺れ始める。よく見ると眼がトロンとしている。やはり酒は麻薬だ。私たちは先に運ばれてきたチャンコラーメンをすすりながらも味がしない。もうギョーザには手を付けてもいない。巨漢さんの一挙手一投足に釘付けだったのだ。10分もしないうちに巨漢さんのもとにもチャンコラーメンが運ばれる。でっ、デカい!夏川さんと私のラーメンを足しても、あのドンブリは満たせないだろう。さっきまでウトウトしていた顔が湯気に反応し、ニンマリとした表情に変わるが、事件はその後である。相当酔っ払っていたのだろう、何と「熱ちい、熱ちい」と言いながら手で食べ始めたではないか。正に麵の絡んだ食指が動いている。さすがに慌てて私が割り箸を差し出すと、目礼だけして食べ続けるが、何と箸を手にした後のほうが食べ方が下手なのである。まるで乳幼児の食い散らかし。麺が器からはみ出してテーブルの角まで垂れ下がっているのを一生懸命すすっている。・・・やがて睡魔に襲われたのだろうか、鎌倉彫のお盆みたいに大きな顔がすっぽりとそのままドンブリに沈んだ。時が止まるという感覚はこれか。実際には数秒なのだろうけど、「鎌倉彫」が再び浮き上がるまでにはかなりの間隔が空いたような気がした。ドンブリから巨漢さんがゆっくりと顔を上げる。すると、そこには正月の福笑いにも負けぬパフォーマンスで、メンマやネギが貼り付いているではないか。しかも、スープに濡れた額を手の甲で拭いながらの独り言が傑作だった。「あれっ、オレ、こんなに汗かいてる。」
 とは言え、さすが1.5トンの大男である。最終的にはスープまで全部飲み干し、ドンブリは食洗機が要らないほどキレイになっていた。こちら二人の酔いはすっかり冷めていた。・・・食べ終えて5分ばかりが経過しただろうか、こちらが灰皿のある店内で堂々と一服している間に再び事件は起きた。三度寝てしまった巨漢さんが急にゴホッ、ゴホッ、オェ~と吐き気を催し始めたのだ。途端に場の一同が凍り付く。駆け付けた店主が「うわっ、こりゃ持ち上がりまへんわ。お客は~ん、自分で起きてぇ~!」と叫ぶと、さすがに聞こえたのか、自分でフラフラしながら立ち上がった。介抱しようとした私たちにハッキリとした口調で「また戻ります。大丈夫ですから。自分で歩けます。」と断り、財布をドンブリの中に置いて一旦店を出ると、その言葉のとおり1分くらいで戻ってきた。
 全てを戻し切って戻って来たのだろう。自動ドアの隙間から今夜二度目の虎落笛と共に現れた巨漢さんの口の周りには、再びメンマやネギが貼り付いているではないか。しかも、スープに濡れた唇を手の甲で拭いながらの一言が傑作だった。「すみませ~ん、さっきと同じラーメン、もう一杯くださ~い。」驚愕している我々を余所に、店主は全く動じることなくこの注文に応じた。再び運ばれてきた巨大チャンコラーメン。今度は割り箸と蓮華で行儀よく完食した。しかも半ライスまで。
 
 夏川さんはタクシーで独身寮まで送ってくれた。その車中でも馬鹿馬鹿しい話ばかりに耽る二人だった。「さっきのスナックでキーを落として歌ってた奴、全然キーが合ってなかったよなあ。キーを落として歌うくらいなら歌手辞めるって、誰かが言ってたけど、オレもニコチン落として吸うくらいなら煙草止めるなあ。」深夜ラジオからは最近の映画評が流れていた。相変わらず純愛が人気のようだ。「青春ラブストーリーとかって、カンタンにそういう表現使うけど、チープだなあ。ホントの青春にはラブの欠片もねえっちゅうの。」「おやおや、珍しく意見が合いましたねぇ。」「いやいや、弟弟子よ、チミと意見が合うことはもう1つあるぞォ。此間さあ、今日と同じように居酒屋で大酒飲みながらさあ、スポーツの気の毒なところは、どんなに稼いでも現役のうちは食生活が制限されることだって話で盛り上がったよな。あれは前言撤回せざるを得ないよな。」「はい、力士だけは例外でした。」
 タクシーを降り、築半世紀の寮に帰る。今どき横にスライドする木戸を開けると、玄関にネクタイが1本落っこちていた。「明日の夕食の受付は締め切りました 寮母」と殴り書きされた黒板を通り過ぎると、二階までの階段の踊り場に今度はスーツの上着が脱ぎ捨ててある。まさかと思ったが、次の踊り場には革靴が、続く廊下にはズボンが次々と脱ぎ捨ててある。盗まれるわけでもなし、放っておいても良かったが、それも気持ち悪いので再び玄関のほうまで戻り、上着の内側のネームを確認すると、1階の後輩のものだった。部屋の前にでも置いておいてやるかと拾い上げると、その視線の先で1階奥の風呂場の電気が点けっぱなしになっていることを発見する。この寮では風呂も便所も洗濯機も共同であり、夕食は前日19時締切の注文制となっている。毎晩飲み歩いていた私は夕食を頼むことはなかったが、食堂には大きなテレビがあったので、土曜の昼に缶チューハイを飲みながら、大鍋の底に残っている金曜のカレーなんかを勝手につまみにしたりはしていた。建物の古さも住人のカオスぶりも、まるで国立大学の学生寮さながらであり、西暦二千年代の日本の大企業の社有施設とは到底思えない木造住宅だったが、家賃1,500円と自由過ぎる宿舎内生活は何物にも代え難い魅力だった。
 脱衣場まで来ると、扉の向こうでゴシゴシという物音がしているではないか。恐る恐る磨り硝子を開くと、物音の主はスーツを脱ぎ捨てた後輩だった。本日最後の驚きは、この深夜に風呂場を使っている社員がいたことではない。何と、Yシャツ、パンツ、靴下を身に纏ったまま石鹸で体じゅうを洗っているのである。「あっ、寮長、おかえひなさい。えっ?これへすか?賢いれしょ。こないすれば、洗濯せえへんかて済みますやん。」此奴も救いようのないほど酔っ払っている。私は寮長であるものの、社会人では最高レベルと思われるこの風紀の乱れを注意できなかった。寮長の特権は風呂掃除の免除であり、今私の目の前で服と躰を同時に洗浄している後輩はその勢いで浴槽まで洗浄してくれていたのだから。
 結局、この後輩と食堂でまた飲みなおしてしまった。シャワーを浴びると一気に回復するというのは若さの特権だろうか、此奴の取柄はとにかく酒の強いことだった。水虫の研究で大学院まで奨学金で進んだツワモノで、後に米国のグループ会社の役員にまで昇りつめることになる。「酒は百薬の長って、あれ、ホンマですのん?私は酒でしんどい思いばかりしちょります。」しちょる、って広島だったような山口だったような・・・そんなことを考えながら、私は酒が百薬の長であるということに異を唱えていた保健体育の先生を思い出していた。
 
 「アルコール度数の強い酒を目いっぱい飲めるようになったのはね、長い人類史において近々150年くらいのことなのよ。日本でもね、誰もが現在のように晩酌するようになったのは戦後からなの。『下戸』を小馬鹿にする風潮があるのは日本くらいのもので、酒に強い人間を凄いと思うのは東洋の考え方ね。西洋人はそもそも酒が強い酵素を持っているものだから、そういう発想自体がないの。日本人は酔った上での不祥事に寛容的だけど、飲酒そのものに対して寛容的なわけではないわね。欧米ではその逆。酩酊状態で事件を起こせば、受ける制裁は重いけど、平日白昼から飲むような行為自体には抵抗感が少ない社会なの。同じ地球上でも酒に対する考え方が大違いでしょ。いい?私の云いたいこと分かる?酒が強いなんて偉くも何ともなくって、ただの遺伝なんだから、あなたたち、高校生のうちから粋がってアルコールに手を染めるんじゃないわよ。プリントのグラフ4をご覧なさい。急性アルコール中毒の救急搬送人員の推移、グラフ5が年齢別、いかに10代~20代が多いか分かったでしょ。死んでいる人もこれだけいるのよ。アルコールの長所は確かに認められているけど、適量を守る人が飲まない人よりも長寿の傾向にあるとか、心筋梗塞になる確率が比較的低いとか、その程度のことで、実は詳しい検証をしないと分からないことも多いの。私はね、あなたたちがハタチを過ぎたら、もちろん勝手に飲めばいいと思ってるわよ。でもね、常に心にブレーキをかけなさい。クルマの運転と一緒。そういえば、未成年飲酒禁止法って、道路交通法と共に『最も破られている法律』って言われているの。でもね、法律なのよ。ルールを破ってまで酒飲んで、人生で得することなんて1つもないことだけは理解しなさい。」・・・小中高大と実に様々な先生から様々な教えを受けてきたが、お酒との付き合い方に限っては、幾つになってもこの授業の訓戒を活かすどころか、背くことばっかりだった。だから酒は魅力でもあり恐怖でもあるのだ。
 「百薬の長と言えど、万の病は酒より起これり」とは説教の定番だが、「酒は憂さを払う玉帚」といった讃辞を前にすると、有難き説教も頭から一蹴されてしまう。「人を知るは酒が近道」という格言を「酔って本性を顕す」などという意地の悪い解釈で片付けたくはない。「親の意見と冷酒は後からきく」とは言うけれど、その親から叩き込まれたのが「酒は天の美禄」という教えだったのだから、ここだけはどうか「論語孟子を読んではみたが、酒を飲むなと書いてない」ということで許してほしいものである。人類はいつまでも未熟である。酒っていうのは、人類の未熟を再確認するツールなのだ。どうせ暇つぶしの人生なら、長い人生のうち2時間くらい仲間と居酒屋で過ごしたってバチは当たらない。そうやって、どんなことも是とすることで非が無くなっていき、体が酒に麻痺してきたら、スナックでさらに1時間を過ごす。最後にラーメンで締めくくる頃には、狭量な己の人生にも寛容になれる。サラリーマンはこの繰り返しだ・・・つづく

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