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【数学】人生に 計算ドリルは 必需品(その1)

 「いま『数学なんて勉強しても今後の人生で役に立たない』って思っているだろ。現時点でそんなふうにしか数学を捉えられない奴にとっては、その通りだよ。大人になっても数学が人生で役立つ人は世の中にいっぱいいるんだけど、高校生のときに微分積分だの代数幾何だの、そういうのが好きで好きでたまんないなんて奴はレアケースだよ。
 ただな、お前たちが数学を勉強する理由で分かりやすいものを1つだけ挙げるとしたら、数学が苦手な人でも学ぶべきなのは『数学それ自体』じゃなくて『数学的な人生の考え方』なんだよ。その点、私は全力を尽くして高校トップレベルの数学教育をお前たちに提供しているという自負があるのであります。」

 この数学の先生も、倫理の先生に負けず劣らず味付けが濃かったが、この数学嫌いの私を置き去りにしない迫力があったし、私自身も倫理とか他の得意科目の影響を受けながら、徐々に数学の授業に対する心構えみたいなものが変わっていった。

 「『A=B、B=C、ゆえにC=A』とは限らないのが、お前たちのこれから歩む人生だよ。テストや試合で失敗することや追い込まれることがあると『どうして自分はこんなにダメなんだろう』って思うけど、だったら『あの人』みたいになりたいかというと、そういう気持ちにもなれないものなんだ。私は『あの人』ではなく、もし『あの人』になれたとしても、それはもはや自分ではないのだから。その程度は誇り高く自分を認めて良いと思うし、認めなきゃ生きていけない。自分を大切にすれば、他人を大切にするようにもなる。
 自分にとっては大切なことでも、他人にとってはどうでもいいことがある。自分にとって大切なことを他人からバカにされたら腹が立つ。『自分と同じように、他人にも大切にしていることがあるんだ』という簡単な公式が分かれば、むやみに他人と比べたり、他人の大切にしているものを否定したりはしなくなる。この公式を忘れなければ、あらゆる友人と交わることができるし、あらゆる国の歴史や文化を尊重する人間になれるし、相手に対するリスペクトの精神がお前たちの人生を豊かなものにする。

 では、交わった知人の人数が当人の人生の豊かさと正比例するかというと、そうでもない。インターネットで世界中の人と関われば視野は広くなるかもしれないが、ネット以外にも深い付き合いの仲間を持たなければ思慮は浅くなるかもしれない。だから自分の広さと深さの『閾値』を探りながら生きていくといい。人それぞれ、関わりの適切な人数や範囲、付き合いの適切な深度というのがあって、他人と接続すれば接続するほど、自分が何者か分からなくなることがある。その点、昔の人ってのは――まあそんなに大昔じゃなくて、今からちょっと遡っただけでも――生涯に関わる他人の人数や同一社会で過ごす範囲がせいぜい数百人だっただろうな。それどころか、故郷から出ることなく一生を過ごす人も今よりもっと多かっただろう。実はそれくらいの人数や範囲がちょうど居心地の良い人もいる。
 けどな、はじめから人数や範囲を小さく設定しようとすることはないんだぞ。どんなに嫌な奴でも何らかの形で自分の人生を磨くことに寄与する。『私という人間はこういうタイプの人が嫌なんだ』ということが理解できるだけでも役に立っているのだから。この公式を忘れなければ、一瞬の怒りは収まる。その上で本当に嫌なら距離を取れば済む。すなわち、加減乗除を問わず、私という数字に別の数字が入ってきた段階で新しい数字に変わる。日常生活をそんなふうに捉えながら、『A≠B、B≠C、でもC≒A』だったりする人と人との繋がりを大切にし、その繋がりに『ありがとう』と言い続けていれば、だいたい人生の大半は円満にいく。はい、ここまでがまず基礎中の基礎の『数学的な人生の考え方』なのであります。」

 先生の授業はここで終わらない・・・「ここまでが『公式』の話な。分かったか。じゃあ、次は『方程式』の話な。」・・・つづく

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