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ピーターストリックランド『ファブリック』ネタバレ考察・感想・レビュー

領収書は捨てちゃダメ!

買ったドレスが勝手に動いたり、切り裂かれたはずなのに新品同様に戻ってたり…。「こんなキモいドレス要らない!」とブちぎれて返品に行ったは良いけれど、店員さんに「領収書がないなら無理です」と言われて完封される「領収書は大事」ホラー。領収書さえあれば…。ちなみにみんな大好きA24配給。

赤いドレスによる怪異譚としては、トビーフーパーのテレビ映画『ドレス』が思い浮かぶけれど、彼方が着た者の悪性を表面化させる内面投影のための装置であったのに対し、本作のドレスはより直接的に襲い掛かる。クローゼットの中で暴れまわり、覆われた野菜を腐らせ、鳥を殺し、更には洗濯機を完膚なきまでに破壊する。このドレスさん、とにかく洗われるのが大嫌いみたい…洗濯機は二回ぶっ壊してたし😂しかも洗濯機破壊にもしっかりとした意図が込められているので、コメディをうまく利用している印象。

本作は二部構成で舞台は90年代(もしくは70年代…)。一部は、夫と離婚した50代のシングルマザーの話。自宅では息子やその彼女に横柄な振る舞いをされ、勤めてる銀行では上司に「握手の仕方」とか「トイレの回数」とかウジウジ嫌味を言われ続ける。精神的に孤独な主人公は、新聞広告で見つけた男性とデートするために赤いドレスを買う。二部は、結婚式の準備をしてる新婚夫婦の話。冴えない夫が貰ってきた赤いドレスを妻が身に纏う。その姿は、意識しているのかどうかは知らないけれど、どことなく外見的にフーパー『ドレス』のメッチェン・エイミックに重なる。

両話を結びつけるのは、この赤いドレスを販売したエレガントな衣料品店。吸血鬼的な装いをした怪しげな店員たちが、『リング』のビデオのような心を不安定にさせるノイジーな映像を『ハロウィンⅢ』の洗脳CMの如くテレビで流し、国民にセールを伝える。それを見た人々がロメロ『ゾンビ』のように大挙し、その姿をあざ笑うかのように店員が窓から見下ろす。つまりはメディア等による洗脳と、それにより「実態のない欲望」を押し付けられ「ゾンビ」となった人々を憂うロメロと同様な消費社会批判の側面を本作は備えている。

『ハロウィンⅢ』では、洗脳の背後にケルト原理主義者がいたように、本作でも「魔女」が存在し、『サスペリア』のフライブルクバレエ学院のように、その隠れ蓑として衣料品店が設定されている。消費行動に対して宗教的な信仰心すら匂わせる魔女のボス・ラックモア(ババア)は、マネキンの局部から流れ出す血を吸血鬼のように(無駄に)セクシーに舐め、それを覗き見してる経営者然としたジジイがオ〇ニーして白い液体を飛ばすという誰得感あふれる地獄絵図と化した閉店後の店内を見せつけてくる。ここのシコッてるジジイの顔がマジで最高に笑えるんで、是非見てほしい!ちなみにこのジジイの精子がドレスに付着し、乾燥して銀色の模様になり、それがデザインのように見えて、誰かが良いと思って買ってしまう…という構想があったらしいのだけど、実現できなかったらしい。そんな液体つけられたら、ドレスさん幽霊にもなるわ…。

そして、フィリオ『アクエリアス』とは真逆で、本作はモノに宿る魂(前主の面影)をネガティブに描く。所属する共同体内で継承されていく限りは温かみをこれ以上になく次世代へと伝えるものでありながら、他の領域から自己の領域へと舞い降りてきたモノについてはこの限りではない。「知らない誰か」の「痕跡」は心内で負の方向へと増幅し、「幽霊」となる。

特に本作の赤いドレスは、前主の死から考えても赤=血=死を全身をもって象徴的に宿したものであるのでしょう。ラックモアの血による性的倒錯は、吸血鬼モチーフの通り、血=性を語り、『バーガンディ公爵』を思わせる覗き見ショットによって描かれる性的欲求不満を抱えるシングルマザーの内面が赤いドレス(性)に惹かれ、同じくドレスに宿された死におびえ始める。性と死、この二律背反が赤いドレスを吸血鬼の様式へと導き、死=血を材料として、赤いドレスは吸血鬼が眷属を量産するかのように生産され続ける。

そしてそれは、性的倒錯等、誰からも理解されない孤独を宿した者たちに「別の何かに変身できる」という希望を抱かせ、そのマヤカシの衣を纏わされる。この虚(Fabric)-実(In Fabric)の相違と影響は『バーバリアン…』『バーガンディ公爵』と描かれてきたもので、社会や第三者により押し付けられる「虚と実の反転」あるいは「虚による実への侵食」(印象的な鏡張りの試着室で示唆される)こそが真なる腐敗を生み出すという発想は確かにジャーロ的なのかもしれない。そしてそれ以上に本作は、『シーバース』や『ラビッド』、『ヴィデオドローム』等のクローネンバーグ、消費社会批判としてのロメロ、更には「侵食に抗う病的神聖」としてのジェスフランコやジャンローランをミックスした人間と社会・第三者との関わりに対する性的・心的分析となる。

だからこそ、社会・第三者等の外的要因に端を発した、精神→身体へと影響を及ぼしていく描写を繰り返すのだろうし、それを考えると四谷怪談…というより『怪談かさねが渕』とも近くなる。ある種の呪い・前主の痕跡を主軸にしての二部構成としたところも妙に累ヶ淵と符合する。鏡を使った右と左の演出、これは豊志賀さんとお岩さん双方へのリスペクトなのではないかとすら感じてしまう。邪推中の邪推だけど🤣

『バーバリアン…』から数年ぶりに純粋なホラーにカムバックしてくれた嬉しさはあるけれど、私的にストリックランド監督のベストは『バーガンディ公爵』だと思う。ストリックランドお得意の反復による差異の積み重ねや、異界とも呼べるような多層的な像を混濁させていく主観化も面白く見られたのだけど、どうも二部がそこまでの役割を果たせていないように感じてしまう。というか、フリーズフレームのモンタージュのあとにぶち込まれる手にオッソリオ『エルゾンビ』みを感じたんだけど、オマージュかな。そうだとしたらこの監督さんサイコーだわ!

でも『バーガンディ公爵』はスルーしたのによくコレ日本に入れたよね。万人受けとかそんなレベルじゃないくらいに見る人を選びまくる映画だと思う。『バーガンディ公爵』の方がまだハマる人の範囲広いんじゃないかな。

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