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法螺貝談義(第59話)

法螺貝には深い意味の教義があります。

ただ音を出す事だけではなく、教義を知り意識して吹く事も大切です。

そのためには、先ずは音をきちんと出せる事がとにかく大事と教わりました。

これまで長々と身体面や音の響きといった観察や感覚について書いてきましたが、人というのは先ず〈ある程度〉吹けるようになりませんと、教義への意識に余裕が出てこないのも現実です。

法螺貝を吹く事に身体が馴染んでませんと、音がきちんと出せるかどうかで気持ちがいっぱいいっぱいになりがちです。

それが人というものです。

例えば、車の運転は誰しも最初は全然余裕がなかったはずです。

最初はとにかく前ばかりに意識が向き、だんだんと運転に慣れてきて次は周りの車との距離感を意識できたり、いつしか車内の同乗者との会話も楽しめるまでになっています。

法螺貝も最初は音を出す事に意識が向き、慣れてくれば周りの人との法螺貝にも合わせられるようになり、いつしか音色をどのように響かせるかというような余裕も出てきます。

車の運転が当たり前になれば意識にすら上りませんが、実は色んな作業を複数同時にこなしながら、いつしか難しい考え事まで出来るようになっています。

だから先ずは練習して〈ある程度〉吹けるようになる事を最初の目標にします。

そうすれば教義を吟味、意識する余裕も次第に出てきます。

教義とゆとりを持って音を出せる事は互いに支え合っています。

教義はとても素晴らしく深いので、これを機に改めて見直してみるといいかと思います。

詳細はここでは言いませんが、それぞれの近くの先達から教えてもらうといいと思います。

音を出す事、加工、網作り、教義など色んな方面から法螺貝を知っていくと、さらに法螺貝が好きになると思います。

YouTube「立螺」


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