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法螺貝談義(第62話)

徹底的な執着の勧め。

「執着」と聞くと言葉の響きからしてマイナスをイメージしますが、法螺貝においては音や響きに徹底的に執着することは大切かと思います。

そして執着による「工夫」が大事。

「工夫」という言葉は仏教が由来で、手間隙をかけて様々な思索を凝らす事として重視される考え方です。

この場合、執着がどこに向かっているのかを考察いたしますと、大概の方は、少しでも良い音を聴いてもらいたいという事に繋がっているのではないかと思います。

自分だけ何かを得たいと言うような、ただの自己中心の執着ではないはずです。

聴き手がいて初めて練習にも身が入り、そして継続もできます。

執着すればするほど色んな工夫をして音が磨き上がります。

観察してわかるのは身体動作を変えれば音も変わりますから、音を磨くという事は自ずと身体感覚と向き合う事になります。

それにより自身の身体を通していろんな事への気付きも得られますし、執着による様々な工夫をした先に、活路が見出されることがあります。

試したことが外れることもありますが、こういうことを身をもって体感するからこそ、腑に落ちて納得します。

これだけやったという納得が大事。

実際にやった本人にしかわからないことがあり、だからいろんな人の話を聞くことは重要です。

やってみて納得する事でやがて余分な分の執着は自然と抜け落ちていきますし、執着したからこそ良い音に成っていくわけです。

ただ一番大事なのは、先ずは「自分にも出せる」と思うこと。

根拠はなくても、これがあるから続けられます。

そもそも人は根拠が無くても明日があるさと生きていくことが出来ます。

これが「相対」ではなく「絶対」の領域。

「執着」はあくまでも言葉のいち表現であり、イメージに引っ張られると聞こえは悪いかもしれませんが、自己の先入観的な偏った概念をいったん置いて捉えることで、それまでそもそも自分が事物に固執していた執着に気付けたりもします。

煩悩即菩提で法螺貝への執着のエネルギーをプラスに転じていきたいものです。

YouTube「立螺」


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