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ウルトラマンは三分間、オレは三時間

コロナを機に今まで以上によく家事をするようになって、目に見えて生活が安定した。

わかりやすく言うと、時間のメリハリが生まれたのだ。

相方の職場は残業が多く、けっこう長時間労働。対する僕はフリーのライターで、仕事の数は山あり谷あり。あくまで数字面でのみ考えると、家事分担の割合が半々では彼女にとっては割に合わないと言ってもいいだろう。

とは言っても、彼女は「労働時間が少ない方が家事を多く担当しなければいけない」とは考えない人で、コロナ以前の僕たちはざっくり言うと「その時々でお互いができることをやる。さぼりたいときはさぼる」というスタイルの暮らし方だった。二人とも基本ぐーたらだし「決まり事」にしばられたくない性格なのだ。

そんな体たらくでもうまくいっていたのだが、コロナで仕事が激減した僕がその穴埋めにコンスタントに家事に従事するようになると、生活がいい感じにケアされ、特に食事面を中心にかなり「まともな」暮らしに近づいてきた。

さて、上の段落で「コロナで仕事が激減」と書いたが、実はそれは正確ではなく、昨年1月から病気療養のために生活スタイルを変えていた。SNSもぱったりやめ、仕事を増やすための営業活動もいったんやめた。

それまでメールやメッセンジャーで友人のミュージシャンたちとひんぱんにやりとりしていたが、思い切ってそれもスパッとやめ、インターネットを見ることすらほとんどないという日常にスイッチした。

こういう生活に変えてみると、改めて気づくことがある。それは、インターネットに割く時間がどれほど日常を圧迫しているかということだ。原稿を書く時の調べものくらいしかネットに触れないようになると、一日の中で「余白」がものすごくたくさん生まれたのだ。

僕は、その時間をコンスタントな家事に充てたわけだ。そして生活が前よりうまくまわるようになった。

もっとも、この事実は僕たち二人に新たな問いを突き付けることにもなったのだが。それは「専業主婦的な時間の使い方をする人がいてはじめて生活がうまくいくのなら、現代的な家事分担ではなく、単に男と女を入れ替えただけでは?」という問題だ。実際、僕がまた仕事をたくさんやるようになって今のように家事ができなくなったら、生活はふたたび「ちょい荒れ」に戻ってしまうだろう。

さて、家事をコンスタントにやるようになった、イコール、コンスタントにそれ以外の時間が生まれるということでもある。生活スタイルを変えたとは言え、別に物書き業を廃業したわけではないので、新聞やウェブの連載をはじめ、ちょこちょこやらなきゃいけない原稿はある。

体がしんどいので自分から仕事を取りに行ったり密なコミュニケーションをストップしてみたというだけで、打診された仕事は基本的にやるようにしている。

家事をやることを中心に据える生活に変えたことで、原稿執筆も必然的に「それ以外の時間」内に進めることになる。これまでは、仕事の合間にできる家事をやる、だった。日常の中心軸が完全に逆転したわけだ。

家事はやってもやらなくても良く、仕事を延々とやり続けるかどうかはその時の進行状況によるという考え方から、今日はこれこれの家事をやるので、その間にできるだけ原稿を進めようというやり方へ。

すると何が起こったか。原稿を書き上げる速度が格段に上がったのだ。家事と家事の間という時間制限がつくことで、仕事と家事のスイッチの切り替えがよりはっきりできるようになったということなのかもしれない。

生活が安定した上に、仕事の質まで改善された。コロナ禍でネガティヴな話題が多い昨今だが、少なくとも自分にとっては収穫の一年だった。

短時間集中の執筆スタイルに変わってからもう一つ判明したのは、どんなに頑張ってみても気持ちを集中して書けるのは三時間が限度、という明確な時間の基準だ。

実はこのことは生活スタイルを変える以前からそうだったのだと今では思う。ほんとうはだらだら仕事していた頃も三時間しか集中できていなかったのだ。それがわかっていなかったので無駄な時間の使い方をしていたことになる。

三時間しか持たない、というのは短いのか長いのかわからない。「持たない」という表現だとネガティヴな捉え方になってしまうけれど、大事なのは「持つ、持たない」のフェーズでものを考えるのではなく、具体的な数字をつかむことで、それを基準に日常が組み立てられるようになるかどうかということだと思う。

言わば「自分の物差しを知る」ということではないかと。

ウルトラマンは「三分間しか戦えない」という後ろ向きな考え方で怪獣に向き合っていないだろう。三分間という基準をもとに戦いを冷静に計算しているのだ。

自分の物差しがあるということは、人とくらべてものごとを考える必要がないということでもあるように思う。

正直に言ってしまうと今のように生活スタイルを変えても、仕事の量に天と地がひっくり返るほどの変化があったわけではない。もともとそれほど売れっ子でもなく稼げてもいなかったのだから。自分の稼ぎだけではとても生活できず、人並みの収入がある相方といてはじめて生きていけていた。

今の生活に入るまでは、そんな自分が情けなくて情けなくてしょうがなかった。パートナーに生かされている自分を半人前に感じ、そんな現状に疑問を持つばかりだった。

フリーになったならば、とにかく仕事を増やさないと。名前を売らないと。ばんばん発信しないと。彼女にばっかり金銭的な負担をかけて申し訳ない。まわりの同業者やフリーランサーはあんなに頑張っているのに。

それまでの僕は、人とくらべて引け目を感じていたのだ。また、業界のすごい人たちと付き合いができるようになって、自分のその仲間入りをしたように錯覚してしまっていたところもあった。自分の物差しを見失っていた。

しかし今は、家事と執筆活動をしっかりメリハリつけてこなすことで生活がより良くなった。彼女もそのことに喜んでくれているし、そもそもの目的であった病気療養もかなりうまくいった。少なく見積もってもいい変化ばかりで、自信を持てるようになったのだ。

「稼げている・稼げない」とか「自立している・養われている」という見方とは別の、自分の物差しを持てたということなのかと。人から見てどうあれ、僕たちの今の暮らしはとても安定しているし、より幸せで充実した時間の使い方ができるようになっているのだから。

人とくらべて「こんな生き方しかできない」と思い込むところから抜け出して、「自分たちが幸せになるためのあれこれ」という物差しを基準に人生や日常を捉え直すことができた。

また、自分の物差しという考え方を通して自分自身を見ることで、けっこう勘違いを正すことができた。自分の「できること・できないこと」の認識がかなりはっきりしてきた。

思っていたほど自分のスペックは高くなく、武器(できること)も少ないことがこんな歳になってから判明してしまったが(笑)、それは人とくらべた場合の話であり、その基準が明確になれば、それをもとに今後の人生について考えればいい。

できないことについて人とくらべて引け目を感じなくてもいいし、できることについて必要以上に自信を持たなくてもいい。ただ、できることとできないことの違いを、正確につかんでおけばいい。それさえできていれば、社会の中で自分が「どのあたり」にいるかも考えなくてもいい。それがはっきりわかった。楽になった。

良くも悪くも三時間以上執筆が続かないのが僕だし、家事の合間に執筆するほうがしっくりくるのが僕なのだ。人によってはそれは「物足りない」のかもしれない。

それでもその三時間は僕の人生を測る、自分だけの確かな物差しなのだ。

(おわり)


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