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人生の大抵はゲームで、私は私でしかない

私が「柑橘」としてTwitterを始めた頃、自分が兼業/副業/複業に関心があったことからだろうが、眼に入ってくる情報やフォローしてくれる人は、クラウドソーシングで仕事を始めたという人や、それで身を立てている人、仕事が辛くて会社をやめた、やめたい人というのが多かった。

そしてしばらくすると、独立ブームが起きた。独立というが副業をメインにすべく退職するというものだ。「副業の次のステージ」「ヒトカゲからリザードへの進化」という人もいた。後者はちょっと何言ってるかわからない。

で、”会社員(=社畜)ディス”ブームを経て今ちょいちょい見る”アンチ会社員ディス(会社員≠社畜論)”へと。

この流れ、なにか揺り戻しているな、と思う。果たして企業人は旧時代の働き方なのか?明に暗にオワコン扱いされてるけど本当なのか?を考え始めたということか。

当初からの流れに乗りかけて結局乗り切れないままでいた私は、昔から”アンチ会社員ディス”のような、それとも違うようなポジションにいたなと思う。

仕事における自身の考え方を言語化してみた。

どこで何をしていようが私は私。

これに尽きる。
なんか炎上したそ○うのキャッチコピーみたいだが。

私は兼業で「翻訳フォトライター」をしている。
業務内容は執筆、翻訳、編集、インタビュー、撮影だ。基本的にそれ以外は受けない。
また便宜上その方が好ましいと考える以外では、自分が行っている”本業以外の仕事”のことを”兼業”と呼んでいる。その理由は、本職がこれら兼業業務に関連する仕事だから。本業でも文章を書き、取材をして、翻訳、編集、あと撮影もしている。

乱暴に雑に言えば、オフの日に家で抱き枕抱えて爆睡してる時や、キッチンに立って思い付きの料理をしている時以外の大体の時間で、私は「翻訳フォトライター」かそれに近い存在であり続けているのだ。

本業と兼業の棲み分けはしている。守秘義務に相当する情報や知識、技術を使うことは無い。これは当然だ。

その代わり、文章の書き方や字幕付けのルール、リサーチの方法、動画撮影時の絵作り、動画編集ソフトの操作方法といった技術、また業務上取得を推奨される資格試験のための勉強で手に入れた知識などを、自分の資産として積み上げ磨いてきた。
そしてその資産を用いてサービスを提供している。それは会社にもクライアントにも、だ。

常に「己の資産でサービスを提供している」にすぎない。会社員としての私と、フリーの翻訳フォトライターとしての私に違いはなく、「私という企業を経営する個人」として仕事をしているようなもんだ。

所属企業で社員として働く際には社則に拘束され、社の利益を追求する。それは社会的にも所属しているとみなされる、という側面も含めて。当然だ。名を借りているのだからそれを束縛というのはお門違いだ。
同様に兼業としての仕事でも、クライアントの効用を最大化するために動く。そのための努力や代償を飲み込めるのであれば、会社員のそれも同じはず。(ただしブラックは除く)

それでも私は仕事をしている時は社員でも兼業でも私として働く。

人生の大抵はゲーム

もうひとつ、私は仕事や困難をゲームだと考える。
それはドラクエやポケモン、ウイイレと同じでもあるし、ちょっと違う。ポケモンのようなVideo Gameでもいいし、スポーツの試合(Game)でもいい。後者の方が近いかな。

負けたり失敗しても、それで人生が終わることは無い。
億を動かしたことはないが、コケ方次第では数千万レベルを左右する仕事はしてきたが、それで負けても人生が終わることは無い。もう一度ボスに挑めたり、次のバトル、試合がある。それに向けてレベルを上げればいい。そう考えれば余計なプレッシャーはかからない。
再チャレンジも許されない失敗をしたことがないから言えるのかもしれない。だが私自身の捉え方次第では人生をそのまま閉じる可能性もあった失敗は何度かしてきた。それでも閉じずに来たのは、ひとしきり塞いだあとに「まあ別にまたトライすること(次のゲーム)があるでしょ」と思ってきたからだ。

同時に、ゲームに参加する以上は勝ちたい。
勝ちの定義は様々で、その時々で異なるが、参加する以上は勝ちを目指す。それは責任とも言い替えられる。そして勝つための努力はしんどいが楽しい。
基本的に仕事はしんどい。面倒くさい時も寝ていたい時もある。だがこういう考え方でいると、基本的には日々「勝とうという思いで試合に臨んでいる」ので、面倒くさい業務が間にあっても、トータルで見れば楽しい。

もちろん、こう考えられる業務についていること、こう考えられる環境にいることが大前提だ。ブラックはNG。


結局、私が兼業して規模間の違う2つの働き方をしているのは、用いるスキルは同じでも、関わるプロジェクトが様々だから、楽しいなというところにある。
会社でやる、自分一人ではできないスケールの大きな仕事も楽しいし、自分が好きな世界に携わることも楽しい。自分ができることで幅広いことに携われている。
小遣い稼ぎや隙間時間で収入アップする目的だけでやっていないし、それが私の兼業という考え方。

仕事という枠の中で好きなことができているし、今の会社では前職より比較的びしっと退勤できるので自分の時間も作れる。

本来、脱社畜とは企業ないし企業人本人のブラック体質(社畜状態)からの脱却を意味していたはずだ。それに立ち帰れば、会社員のまま脱社畜することは可能だ。

兼業をしながら、フリーになる気は無もないまま、私は脱社畜できている。

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