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小説を書くのは辞めようかな④

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店に出る18時、
SNSのトレンドをチェックして客との話題にする。
「今日は三島由紀夫賞の発表だったんだ」

三島由紀夫賞の上には、
『漂着ちゃん』
またどこかでクジラが打ち上げられたとか、彼の国から木造船が漂着したのだと思っていた。

バイトが終わりファミレスでpcを開く。
ネットニュースに『漂着ちゃん受賞』が上がって、
まさかと思うが三島由紀夫賞かと見て驚いた。

「三葉亭⁈ 三葉亭八起が?」
今年は三葉亭八起の『漂着ちゃん』が受賞したニュースで湧いていた。

アイツ、いつの間に『漂着ちゃん』などとタイトルをつけ、大衆文学を書くようになったのか。

三葉亭は純文学に拘り、『最愛』だの『合わせ鏡』だのとお堅いタイトルが代名詞だった。
「漂着ちゃん?」

三葉亭が受賞した喜びよりタイトルに仰天し、
「三葉亭はあんなことを言いながらやはり純文学を捨てたか」他人のことであるが、残念な気持ちが本当のところだ。

でも、大衆文学だろうが純文学だろうが大きな賞を獲得したのは間違いない。

斬新、精鋭、切り口が変わった文学へ光が当たるこの賞。

ニュースを読むと三葉亭は純文学で受賞していた。

三葉亭八起などとふざけたペンネームを持ちながら実力は俺なんかより遥か上だった。

「大器晩成とはこういうことか」

9回の裏、逆転ホームランを見たような、三葉亭ならいつか大きなことを達成すると思っていたが『漂着ちゃん』のタイトルは嫉妬する気も失せていく。

「良かったな、お前」
そうか、そうだよな。
あのときのお前は正しかったんだよ。

「そうか……」
口から小さく漏れて、同じ量の涙が浮かんできた。

勝敗がないのに悲しみが迫ってくる。到底力が及ばない相手に悔しいと唇を噛む。
pcの画面が直視できず、注文したチキンソテーを半分も食べずにファミレスを出た。

飲みすぎて大声で笑う若者達の横を自転車ですり抜け、車道に群れたカラスを割って、
(今ある体力を消費したい)自分が消えてしまいたい。

俺は俺なりにやってきたプロセスを全否定され、書き手の現実を見てなかったのは自分だったと笑えない状況になった。

三葉亭にあって俺にないものは才能と全身に叩きつけられる衝撃。
それも選考委員という目の肥えた重鎮が指名するんだ、こんなに強い第三者の判断はない。

自転車で走ると気づけば東京駅につき、赤レンガの建物が俺を惨めそうに凝視している感覚になり、ますます消えてなくなりたい感情へ締め上げる。

「三葉亭は頑張ったんじゃないか、俺だって」
とても自分を鼓舞する材料にならなかった。

結局ジムには行かず、妙な咳が出る。

下から順番に関節が痛くなり、検温すると39度の熱。
近所のクリニックへ電話し、検査すると疫病の陽性。どこまで俺はツイてないんだ。

「身も心も破壊する、こんな感じか」
体内のどこかしらから激痛がし、このまま死んでもいい。

俺は終わった……。



ホストの仕事にも当然有給休暇があり、俺は疫病とは別に休みをもらって三葉亭がいる牛丼屋へ行ってみた。
今、直感でアイツに会っておくのがいい気がした。

作家先生になった三葉亭は既に退職したかもしれないが僅かな望みを賭けて訪ねてみると、水を運んできた店員が三葉亭。

目線に上下の段差があり、書き手の格差を物理で表したような、互いが見つめ合う。

「元気だったか」三葉亭の方から口火を切った。
「相変わらず」
思い出して「受賞おめでとう」付け足す。
三葉亭からの「どうも」はクールというより乾いていた。

「14時に上がる予定だが、お前って時間ある?」
三葉亭から打診され、頷く。



三葉亭へ祝福するのに手ぶらはおかしい。
まだ14時へ時間があり、俺は百貨店まで歩いて行った。

昼間に人混みへ入るのは久しい。
夜の歓楽街にない昼の雰囲気を、三葉亭ならどう表現してくるんだろう。
三葉亭のことだ。見たことがあっても難解で、朗読には不向きな単語を用いてくるかもしれないし、
昼夜無視して別の描写へ注力するかもしれない。


三葉亭との出会いは文学フリマだった。
会場の外にある喫煙所で火を貸してくれと声をかけてきたのが三葉亭だ。

「女の子ばかりだと言いづらくて」
文学フリマに来てまでナンパしていると思われるのがイヤなのは同じ。

当時は二人とも二十代で同学年。

白の大きめTシャツにデニム、よくいる大学生に見えて「歳下かな」と思い、
三葉亭は俺のことをビジュアル系バンドのメンバーだと勘違いしたそうで、後から「本当は声がかけづらかった」クスッと笑った。

「何かいい本や書き手が発見できました?」
二本目のタバコに火をつけながら訊いてみる。

「私は販促をしていて、まだ他を見る余裕がないんですよ」

「お兄さん、本、出してるの?」

「はい。昔から書き溜めたものをまとめて自費出版したんですよ。
自費出版って高いですね」

「そうなんっすよ。厳選したものを載せないと、あれこれページに入れると予算オーバー」

「あなたも文フリに出しているんですか?」

「そうっすね、僕は初めて出店して初めての手売りですよ」
「私もですよ」

見た目は全然違うのに、話すと会話が拡がる。
三葉亭が書くものは繊細でロマンチックな作品が多く、「妄想で恋愛しているんですよ」
照れ隠しなのか笑って見せた。

三葉亭が実際に恋愛した折、俺は話の聞き役で、
「二人の女子から告白された」
真剣に悩む表情が初々しく誠実そのものだった。

「お前、モテるんじゃん」
両手を「いえいえ」と振る顔は謙虚で、二股掛けようなど微塵も考えない、裏がないヤツに感じた。

「結局、どっちの女の子にしたの?」
三葉亭は他人事のように、今まで忘れていたのか、
「どっちも選びませんでした」
片方を選ぶと片方を傷つけるらしいのがヤツの答えだった。

真面目と言えば真面目。堅物と言えば堅物。

三葉亭がフリーターと聞いて意外だった。
「お前、親は許してくれたの?」

「全然ですよ。何のために大学院までやったのかと父に叱られました。
黙って下を向いていましたが、心の中では、
『文学のため』呟いていましたね」

「そういう神宮寺君は?」

「僕は高三の三者面談で母親とケンカになりましたよ。母親は実家の近くにある県立大へ進学すると思い込んでいたみたいで。
『東京?バカ言ってんじゃないわよ』
担任の前で怒る、怒る。
ホストのバイトしてると伝えたら『帰って来るな』と言われましたよ」

「どこもそうですよね」

三葉亭が昼のシフトの日、俺は休みで夜の河川敷に座り込み、
「夢を持てと言われますが、夢を持つと反対されるって、それは親が子に見る夢のこと。
親のメガネに敵う夢なら背中を押してくれるのでしょうけど」

「まさにそうですね」

「私がしていることは、牛丼という、いわば形而下の食い物を売ることしか出来ていないのだから」

「飯を食うって生命を維持する根源じゃないですか」

「そうかなぁ……。
神宮寺君はホストとして女の人に「ココロ」を売っている。
それに比べて、私は牛丼チェーン店の店員として、牛丼という「モノ」を売っているのに過ぎないんですよ」

「お前なぁ、女と付き合ってなかったら死ぬか?
でも食わなきゃ死ぬぞ。
僕は未明に帰宅しますが、牛丼屋の灯りを見て安らぎを得ることがあります」

体育座りをしていた三葉亭が胡座に組み替え、
「神宮寺君だけですよ、優しいことを言ってくれるのは」

三葉亭は自己価値を低く見積もっている、これは謙遜じゃない。
自分のことを分かっているようで分かってない。

俺達が三十代になる前だった。
三葉亭が好きなドストエフスキーの『罪と罰』から発展した会話がある。

この頃は中学生ぐらいからスマホの所持率が上がり、インターネットを気軽に利用する人が増え、
価値観の過渡期にあったと思う。

今より裁判沙汰が少なく掲示板は匿名をいいことに
対象が一般人であっても名指しで誹謗中傷が行われた。

俺のことも客の女が書いたのか、同業者が書いたのか分からない。
本気でホストを辞めようと悩み、生きる気力を失いかけていた。

三葉亭と二人が結成した文学サークルに持ち込む話ではないのに誰かに聞いて欲しかった。

「神宮寺君は『罪と罰』を読んだことがありますか?
私ね、なぜか人殺しである主人公のラスコーリニコフの肩入れしながら読んだんですよ。

老婆とその娘を殺害する場面をはじめて読んだとき、頭の中で、沈んでいく太陽の光が差し込む中、斧で老婆の頭をかち割り、血が飛び散った。
怖くて私が人殺しをした気持ちになりましたね。

物語の終盤、ラスコーリニコフを徐々に追い詰めていくポルフィーリーの方が、私にはラスコーリニコフより陰険な人間に思えたんです。

今でも多少トラウマが残っているし、なぜ人を殺してはいけないのかという答えも出せない。
ラスコーリニコフの考えたことって、
理屈としては筋が通っているんですよね。
本気で人を殺そうと思ったことはないですけど、
私には人殺しは無理だなと思った記憶があります。

人を傷つけることは、一般論としては良くない。
でも偉大な文豪の偉大な作品は、こうやって人の心を大きく傷つける。
そして人を傷つけるくらいの圧倒的なパワーがなければ名作たり得なかっただろうと思います。
私の自論ですが、文豪と呼ばれる作家は良くも悪くも、人を傷つけるからこそ価値があるような。

文豪は読者を傷つけますね。
しかし不思議なのですが、
傷つけられた読者は文豪を恨むということはなく、それは私のために書かれたと読者に思わせながらも、読者自身のことを書いているわけではないからですよね。

ここで間違ってはいけないのは、文学が人を傷つけ得るものだからといって、個人攻撃をするためのものでは決してないということ。

ネットで見られる誹謗中傷というものは、文豪の作品とは非なるものだ。名指ししたり、名前を伏せたから、本当のことだと正当化しながら、
誹謗中傷ではないと考えるのは道義的に大きな間違いですよ。

神宮寺君を攻撃して傷つけるものは、もちろん文学という名に値しないし、人は人を傷つけるものだということはなんら免罪符にはならないんです。

今は傷ついて苦しいと思います。
この経験を小説に昇華させるか、活かすか。

神宮寺君。私達が目指す創作とは作品に触れた人が新たな作品を創作しようとする意欲を掻き立てるもの。反面教師にしてそういうのを書きましょう」
※引用

三葉亭はこれだけの考えを伝える力がある。
そして成功を納めた。

三十代になった……。

「私は三葉亭八起という作家以外の者にはならない」三十を過ぎてもよく語っていた。
俺を慰めてくれてから十年が経つ、
「そうだ!三葉亭へはあれを贈ろう」



約束の時間より三葉亭は早く到着していた。

作家先生になったはずの三葉亭が不安そうに
「約束を反故されるかと思った」
繊細さは変わらないな、これからはプレッシャーを背負いこむかもしれない、三葉亭、大丈夫かな。

「三葉亭君、おめでとう」
さっき買ったばかりの贈り物を差し出し、
「中身、開けていいかな?」

几帳面な三葉亭は爪の先でセロテープを剥ぎ、慎重に包装紙を解いていく。
「うわっ!神宮寺君、もらっていいのか?」
まだホストしてるし気にするな、ゆっくり首を振る。

三葉亭が文壇に上がる。恥ずかしくないよう俺なりに奮発して腕時計を選んだ。
お前は命の恩人だよ、それぐらいしていい。

二人の間へ沈黙が居座り、三葉亭はテーブルの下に両手を置いた形で外を見て、俺はまだ肺に痛みがあり、背もたれに身体を預けて外を眺める。

俺に働いた直感は、三葉亭の顔を見て祝福することだったかもしれない。目的は果たした。

「お前が元気そうで良かったよ。直接おめでとうが言えたらよかったんで、時間をくれてありがとう。
じゃあ、これで帰るわ」

三葉亭が何か言いた気だ。目が潤んでいるから腕時計が嬉しかったのか。 

「待って。神宮寺君、待って。
今言うべきじゃないかもしれない。でも言わせてほしい。私はお前と会わなくなってからもずっとお前のことを考えながら小説を書き続けた」

「そうなんだね」

「大衆文学は文学で否定しない。
背に腹はかえられぬのも私なりに理解している。
だから、純文学へ戻らないか?
また目指さないか?
お前の生活は干渉しない、いや干渉するつもりはなかった。また純文学を書かないか?」

本当に三葉亭は変わらない、などと思いながら、どう返事をしてよいか迷った。

三葉亭は畳み掛けるように、
「二人だけの文学サークルを再開しないか」
ショルダーバッグの中から皮のケースを取り出し、
「気が向いたら返事がほしい」

両手で渡された名刺にはQRコードが付いた
「三葉亭八起」の文字が入っていた。

        ー 引用 ー