幾度目かの日記 20220127

日記を書き始めた1月24日、私は「何度目の三日坊主だって感じですが」などとTwitterに投稿した。そういえば似たタイトルがあったなあと、久坂洋子『幾度目かの最期』を思い出した。日中は仕事をし、夕方からは本を読むと決めていたので、今日のお共本(おともぼん。私の頭の中ではそう呼び習わしている。パッと検索した限り用例がないので読みを記しておく)はそれにした。未読だったので良い機会だ。

早速脱線すれば、私は常々鞄に入るだけ本を詰め込むことにしている。今日の気分に合わせた選書、といったところだ。これは何かこだわりがあってやっているというよりは、癖のようなものだ。10冊詰めたところで開くのはせいぜい1、2冊なのだから効率が悪い。馬鹿だなあと思いながら半笑いで続けている。だって鞄が本でぱんぱんのひとがうろついていたら面白いもの。

今日は何を詰めていたかというと、
久坂洋子『幾度目かの最後』講談社、2005
読書猿『独学大全』ダイヤモンド社、2020
門林岳史・増田展大編著『クリティカル・ワード メディア論』
の、3冊だった。

なんだ、少ないじゃないかと思われるかもしれないが、『独学大全』が700ページを越す大著なのでカバンのストレージを圧迫するのである。『メディア論』は多分私が本屋について考える手掛かりになってくれそうだと思って読み進めている。持って行っては本棚に戻しを繰り返している本だ。

『幾度目かの最期』はご存知の方も多いかと思うが、作者は21歳でこの作品を書いた直後に電車に飛び込んでいる。恥ずかしながら私は先ほどまでそれを知らなかったので、作中のこの不穏な雰囲気と筆が置いていかれそうなほどの勢いはなんだろう、表現が巧みなのだろうか、などと考えていた。「青白き大佐」「鉄路のほとり」「緑の島」と呼ばれる三人の男に代わる代わる気を移らせていく。その目まぐるしいこと。

近所のスターバックスで読み進めていたのだが、どうも20時までの短縮営業らしい。今日中には読み終えるかと思いきや中断してしまった。なんとなく消化不良なので電車で家とは逆方向に乗って読むことにした。

読むことにしたはいいが今度は『独学大全』が気になってしまい、こちらに鞍替えした。序文は「学ぶことをあきらめられなかったすべての人へ」となっているが、独学、ひいては何かを学ぶことについての抽象度の高い文章になっているので、それぞれの境遇や意欲をそこに読むことも可能だろう。私はというと、本屋指南としてこれを読んだら面白いのではないか、と思った。これについても今後ちょっとまとめてみたい。『独学大全』に限らず、思想書や学術書を本屋の参考文献として読む、という企画は色々バリエーションが作れそう。

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