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わたしはゆずを好きになれない

ゆずが好きな人は多い。
ただしここで言うゆずとは果物のゆずではない。ミュージシャンの〝ゆず〟のことだ。

ゆずと言えば清々しくポジティブな曲が多く、彼らの曲を好む人もまた、総じて明るく元気な人が多いように思う。

そして高校時代、わたしの好きな人もそういうタイプの人だった。

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クラスが同じで、共通の友人がいて、グループで彼の家にお邪魔する機会もあった。

彼の部屋には控えめにギターが置いてあって、わたしは静かに興奮した。邦楽ロックばかり聞いていた当時のわたしにとって、ギターが弾ける人は文句なしに格好良かったからだ。
周りに煽られ、「最近練習し始めたばかりだから」と仕方なしに演奏した音はたしかに上手いとは言えなかったが、わたしにはこれ以上ないくらい格好良く見えた。

そんな彼に恋心を抱いていたのはわたしだけでなく、いつも一緒に行動していた友人も彼のことが好きだった。
「好きな人がかぶるなんて漫画みたいだよね」なんてふたりで笑って、「お互い頑張ろうね」と友情も大切にすることを誓った。

そんなある日、音楽の授業で自分たちの好きな曲を歌う、という課題が出された。
わたしはグループを組んだ友人とスピッツの「チェリー」を歌った。無難な選択だった。

(彼は何を歌うんだろう?)

彼らが選んだのは、ゆずの「夏色」だった。

それから、彼らはゆずが好きだと言う女子たちとゆずの素晴らしさについて談笑していた。そこにいる人はみんな、いつもクラスの中心にいる子たちだった。
誰とも分け隔てなく接することが出来て、おしゃれに気を使っていて、笑顔が可愛い。

無理だ、と思った。
あの輪にわたしは入ることは出来ない。
わたしの恋は、バレンタインデーに「義理チョコだから」と嘘をついて渡して、あえなく終わった。

進級してクラスが変わってから、彼に彼女が出来たことを知った。体育祭の準備期間中、暑い夏の日のことだった。

その彼女は、かつて「お互い頑張ろうね」と誓いあった友人でもなく、ゆずの素晴らしさを語り合っていた子でもなく、〝中学時代から付き合っている彼氏がいるらしい〟とクラスに知れ渡っていた子だった。

(そうか、別れてたのか)

告白は彼女からだったと風の噂で聞いた。本当かどうかはわからないけれど。もしバレンタインデーのあの日、わたしが気持ちを伝えていたらどうなっていたんだろう?なんてありえないことを考えながら、夏の暑い日、たまたま見かけたふたりの後ろ姿を見送った。

この長い長い下り坂を
君を自転車の後ろに乗せて
ブレーキいっぱい握りしめて
ゆっくりゆっくり下ってく

未練なんてないけれど、わたしはゆずの「夏色」を聞くたび、彼がギターを弾く姿と彼女と歩く後ろ姿を思い出してしまう。当時自分の中で無理やり蓋をした想いが、切なさと苦い気持ちを連れてやってくるのだ。

だからこの先もきっと、わたしはゆずを好きになることはないだろう。

こんなことを思い出してしまうなんて。
これも平成最後の夏のしわざに違いない。


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