鈍く楽しく生きていく
人間を半世紀以上やってると、人から嫌なことを言われても大して気にならなくなる。
若い頃は、すぐに傷ついていたけど。
あまりに人から撃たれ続けて、肉体が鎧並みに分厚くなったのか。
まともには受けず、急所をずらせるようになったからか。
言われた時はショックでも
3日もすれば、記憶力の弱さも相まって、すっかり忘れてしまうからか。
人間としての経験値が増えたおかげで転び方もうまくなって、失敗もそんなに怖くなくなる。
人の目も昔ほど気にならない。
のんびりマイペースに生きられるようになって嬉しい。
年をとっていいこともあるんですね。
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村上春樹のエッセイ「サラダ好きのライオン」によると、
人から何か言われても傷つかなくなったのは、
「感覚が鈍くなっている。」からだそう。
分厚い鎧のおかげで、感じる痛みは減るけれど、
感受性の鋭さは失われていくらしい。
若い頃のように、生き生きした新鮮な目で見れなくなってるのかな。
なるほど、生きやすさと引き換えに失われるものもあるのか。
でも仕方ない。今が楽なんだから。
傷つきやすい若い頃には戻りたくないよ。
文章を書くには、瑞々しい感性は必要だけれど。
若い時は感じるところが多すぎて、頭の中が整理できてなかったよ。
余計なものも全部文章化してしまい、何が言いたいやら、自分でもわからないほど。
鋭い感受性でも全てが使えるとは限らない。
少ない感性を磨いて、豊かに使っていけばいいんじゃないの。
鈍いくらいの頭のほうが生きやすいのだから、
楽しくやっていけばいいじゃない。
そう信じて、今日もぼんやり雲を眺める。
村上さんから若い方たちへ。
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