大島弓子をさらに追いかける〜「さようなら女達」所収作品(その2)
(承前)
大島弓子「いたい棘いたくない棘」です。1977年「ミミ」2月号に掲載されました。「夏の終わりのト短調」の前です。
マンガは、こう始まります。
<ぼくは こんど15歳だけど 心は もはや老人のよう>
主人公のまもるは、青春につきものの<恋とうわさ話>に背を向けて生活しています。そんなところに転校してきたのが須崎かほる、かつてのガキ大将。かほるが近況を尋ねると、まもるは顔を赤らめます。かつて“陣地“としていたしげみで、かほるに助けられたことを思い出すまもる。その“陣地“は今は有刺鉄線で囲われています。
まもるの姉、モエちゃんと再会するかほるですが、モエは3年前にボーイフレンド・海里とけんか別れし、人間不信・男性不信に陥っています。モエは、“いたい棘“のついたイバラの冠をかぶっているのです。
モエちゃんを立ち直らせようとするまもるとかほるですが、成り行きで不良にからまれたかほるは怪我をしてしまいます。心配するまもる、<これは ねえさんが感じる気持ちのはずだったんだ こんな気持ち・・・>。
15歳の発想は純粋です。怪我がもとになり、かほるが死んでしまったらどうしようと悲観するまもるです。
<そしたら ぼくも死のう 有刺鉄線の中のしげみの一角にうめてほしいと>。かつて、かほると遊んだ“陣地“は、まもるにとって今だ聖地なのです。
かほるが心を寄せるのはモエちゃんです。まもるは、男女の“恋愛“が、自分の想いを凌駕する現実を知らされます。
<なりたたないんだ 有刺鉄線の中なんて まぼろしさ>
少女マンガの公式からすると、かほるはモエちゃんと結ばれ、まもるは自分の“恋愛“を発見し、“めでたしめでたし“とならなければいけません。実際、この作品では大島さんはそれを守ります。しかし、その為には、モエからイバラの冠をとらなければなりません。モエは別れた海里から、<「きみの全部がきらい」>と言われ、かほるに<「わたしはわたしがきらいなの」>と言っています。
海里には家庭の事情があり、モエのことを考えて、やむを得ず嘘をついていたのです。こうして、大島さんは奇跡の1枚が登場させます。「いたい棘いたくない棘」は、この1ページの為に書かれたと言っても良いでしょう。
天使の姿になった海里がモエちゃんのもとにやってきます。<ごめんね かんむりをとりにきたよ>
大人になる前に、人は“いたい棘“に遭遇します。そして、さまざまな葛藤の末、“いたい棘“は“いたくない棘“に変化できたりします。それは“成長“とも言うのかもしれません。大島さんは、そのことを描くとともに、“いたい棘“があったことを思い出させようとしています。
最後の収録作品は「シンジラレネーション」。1977年「ミミ」11月号、「夏の終わりのト短調」と「バナナブレッドのプディング」の間に挟まれた発表です。
高校男子、河原昼間(かわはらひるま)は、ある日見ず知らずの女の子が飛び降り自殺するところを助けます。彼は、自分のことを<ちがうことにむかって ちがうといえない 手も足もでない みの人間なのだ>と嘆いています。自殺者を助けたのだから、“みの人間“ではないと思うのですが。
これをきっかけに、助けた女性、朝田夕(あさだゆうべ)と彼の間に関係性が芽生えます。彼女が自殺しようとした原因は失恋にありました。
「シンジラレネーション」は、「いたい棘いたくない棘」の相似形作品です。モエちゃん同様、失恋を克服しようとする朝田夕を通して女性に、河原昼間から男性にメッセージが発信されます。
キャラクターのふざけたような名前に現れている通り、「夏の終わりの〜」と「バナナブレッド」の間に流れる軽快な間奏曲のような作品です。
以上、大島弓子の一冊でした
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