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大島弓子をさらに追いかける〜「さようなら女達」所収作品(その1)

大島弓子のマンガ「夏の終わりのト短調」を読んだら、もう少し読み返したくなりました。

1977年雑誌「LaLa」に掲載された、「夏の終わりの〜」の前後に発表された作品を所収した単行本が「さようなら女達」(白泉社文庫を底本にした電子書籍)です。

表題作は、1976年「別冊少女コミック」に連載された作品です。主人公の館林毱は、マンガ家を目指す高校生。開業医の父、心臓の弱い母を持ち、母の体質を受け継いだ兄は、マラソンに出て急死しています。

学級委員長には絶対向かない毱ですが、前代表の海堂茗の妙な提案から委員長になってしまいまう。この海堂茗というキャラクターが魅力的であり、物語の前半の核になっていると思います。そして、“さようなら女達“です。父と毱の海辺のシーンが印象的。

“あとがきまんが“で、本作を描いたことなど記憶の彼方にあるらしい大島さんは、タイトルが内容に合っていない、<今だったら「こんにちはまり」とかにするかもね>と書いています。いやいや、先生「さようなら」しかないでしょ。

「おりしも そのときチャイコフスキーが」(1976年「mimi」)は、収録作品を時系列に並べると最初にくるマンガで、比較的少女マンガらしい作品です。

「七月七日に」(1976年「別冊少女コミック」)は、「さようなら女達」連載開始の2号前に掲載されています。このマンガは<昭和十八年の初夏のできごとである>。13歳の少女つづみの<母はみんながびっくりするほど長身で美しく かなりふうがわりな精神主義者だったのだが>、<かぐや姫みたいに 母は泣くのである・・・ 夜中になると声をころして・・・>。

こうやって改めて書くと、大島さんのマンガの中に散りばめられた、登場人物の文学的に表現された思いが鮮明に見えてきます。

つづみの生母は産後亡くなり、つづみは三つまで父の手一つで育てられますが、その父も死亡。“後妻“として正式な結婚をすることなく、現在の母が十六歳の時につづみを引き取った。<七月七日でした>

<いつかこんなことがあった>。夜中、母の姿が部屋になく、川岸までやってきたつづみ。
<髪をながく水の中にあそばせて 泳いでいる母さまをみつけたわ>
<月が出ていて 母さまがまるで人魚か天女か・・・ あるいはもっとあやしい えたいのしれないもののように てらしだしていたのでした>

戦争の進行とともに、物語は展開していき、美しい短編小説のように「七月七日に」はエンディングを迎えます。この作品も、やはり“さようなら“です。

(続く)


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