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一体“悪“とは何なのか(その2)〜手塚治虫が「バンパイヤ」で描こうといたものは

(承前)

バンパイヤは人類の味方なのか、それとも敵なのか。バンパイヤと人間の共生は可能なのか。そしてロックこと間久部緑郎の運命やいかに。クリアな答えを出さない状態で「バンパイヤ」第一部は“大団円“と題されたエピソードで終了する。

掲載誌を変えた第二部のオープニングは、江戸時代に舞台を移し、幕府転覆を企んだ由井正雪の乱を背景に、南町与力の檜垣九十郎が登場する。第二話は1933年インド・パンジャブ地方で発見された、奇怪なオオカミ少年のエピソード。これらをプロローグとして、「バンパイヤ」は第一部を受け継ぐ形で再開する。

しかし、そこには“バンパイヤ族“に加えて、バンパイヤの逆バージョンとも言える、奇獣ウェコが登場する。物語は、時空を広げながら展開していくのだが、前回記した通り、掲載誌の休刊で唐突に終了・未完となる。

とここまで書いて、手塚治虫の公式サイトを参照してみた。

“手塚治虫が語る「バンパイヤ」“という項がある。

これによると、連載当初は<物凄く非難が集中した。「まれにみる駄作!やめちまえ、手塚はもう終わりだ>(公式サイトより、以下同)。批判するのは<高校以上のオールド・ファンに多い>と手塚は言い、<その人達は手塚節を求めてくれているのだろうな。>と書いている。

当時は「鉄腕アトム」「マグマ大使」がまだ連載中、「少年サンデー」で連載されていた、アニメ化もされた「W3」終了を受けて始まったのが「バンパイヤ」だった。つまり、正義の味方が“悪“に対峙する構図に、“オールド・ファン“は浸っていたと、手塚は言うのだ。

一方、手塚自身はマンネリ化を恐れるとともに、<時代とともにビジビシ変化する>子供たちに向けて、自分も<年々刻々、変身していく必要があるのだ>。

当時、白土三平が「サスケ」(月刊少年)に続き、「カムイ外伝」で「少年サンデー」に登場。「少年マガジン」でも「ワタリ」が始まる。水木しげるもマガジンに「墓場の鬼太郎」を掲載、「悪魔くん」が続く。 こうした作品の登場で、少年誌掲載のマンガが多様化・高度化する中、これまでの延長線上では、読者に飽きられることを手塚は察知していたのだろう。

さらに、本作は<「マクベス」のパロディである>としている。ロックの名は“間久部〜マクベ“である。手塚は、大好きなシェイクスピアの中で、「リチャード三世」と並んで大嫌いな「マクベス」を使う気になったのは、<「悪とはなにか」という、愚にもつかないテーマの物語の、骨組みにしたかったからだ>と説明している。手塚の意図は、私にそして多くの読者にしっかりと刺さっている。

手塚のライフ・ワークとも言える「火の鳥」は、「バンパイヤ」連載中に、「火の鳥 黎明編」として雑誌「COM」誌上で再始動している。「バンパイヤ」も、第二部を読むと、ひょっとしたら「悪とはなにか」を追求するライフ・ワークになり得たのではないかと思ってします。

講談社版全集刊行時に、手塚治虫はその記念として最終巻に「バンパイヤ」完結編をもってくるというアイデアを出していたようだ。

「バンパイヤ」が書き継がれなかったこと、完結させることができなかったことは、つくづく残念である。

「悪とはなにか」、手塚治虫作品を読み解く上でのキーワードの一つである



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