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エジンバラからロンドンの旅(その3)〜三々九度もあった“結婚式“

(承前)

次女はスコットランドのエジンバラに在住、パートナーも同様。彼の父親は北アイルランドのダブリン出身、母親はイングランド人、ただし彼はエジンバラで育ったということで、自分はスコットランド人だと言っています。

自然の流れとして、結婚披露宴はエジンバラで開催、1年以上前に出席の依頼がありました。場所等のアレンジ、式次第など、全て二人で行なっており、妻も私も関与することはありませんでした。

一体どのような結婚式、そしてパーティーになるのでしょうか。この日に初めて全容が分かりました。

会場はレストラン「TIMBERYARD」、高い天井の古い倉庫を改装したレストランで、ミシュラン一つ星です。招待客は80名弱、この会場だとこれが限界でしょう。13時頃からゲストがレストランに集まりました。

実は前日までひどい天気で、雨だろうと思っていたのですが、奇跡的に天気がよくなり、いわゆる“結婚式“は中庭で執り行うことができました。ゲストが着席し、私の役割は花嫁との入場、レストラン内から庭に出て花婿の元までエスコートしました。

花婿の元まで行ったら、娘の頬にキスするように言われていました。その後、一言声をかけようと思っていましたが、口から出たのは何故か英語の“Congraturations“。10年以上、一緒に暮らしていないので、娘を送り出す感慨は全くなかったのですが、どこか緊張していたのでしょう。

新婦側には、姉つまり私の長女が“Maid of Honour“、花嫁の友人4人が“Bridesmaid“として介添し、孫娘二人と新郎の姪子が“Flower Girl“を務めました。新郎側には、“Best Man“して兄が、“Groomsman“として友人ら4人が付き添います。

プロのMCが進行役を務めましたが、形式は無宗教の“Humanist Wedding“、日本的には“人前結婚“でしょうか。式次第はこんな感じです。

MCのイントロの後、花婿の母が、Stephin Merrittが自身のバンドThe Magnetic Fieldsの曲として作詞した“The Book of Love“の一節を朗読しました。続いて、花嫁の姪、つまり私の孫娘(もうすぐ6歳)が、自作の詩、“Love Tastes Like Marshmallows“を朗読しました。練習の甲斐もあってか、声もよく出ていました。

この後、MCの方が二人の馴れ初めなどを紹介し、続いて花嫁のベストフレンドの一人が、イギリスの詩人、ウェンディ・コープの“The Orange“の一節を読み上げました。なんだか文学的なセレモニーです。

日本的な要素を入れたいということで、二人から「三々九度をやりたい」とリクエストが来ていました。我々が日本から盃、屠蘇台、お酒を入れる銚子を持ち込み、実施、注ぐ役目は妻が務めました。

続いて結婚の誓い。それぞれが、誓いを書面にしたため、新婦・新郎の順で読み上げていました。指輪の交換を行い、結婚の書類にサイン。新郎の母と私が、証人として署名しました。

最後に、新郎の友人が“Irish Blessing“、アイルランド式の祝いの言葉で二人の前途を祝い一連のセレモニー、日本的には“結婚式“が終了しました。

多分14時半くらいだったと思いますが、出席者はレストラン内に入り歓談タイム。シャンパンやカナッペが振る舞われましたが、ここから長い長い“呑み“が始まりました。

続く


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