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佐藤正午の書く純愛小説〜「月の満ち欠け」

「鳩の撃退法」(2014年)に続いて、ずっと気にかかっていた佐藤正午の直木賞受賞作「月の満ち欠け」(2017年)を、ようやく読みました。

まずは余計なことから。単行本で岩波書店から発刊され、2年後に文庫になりました。「へぇ、岩波文庫に入ったのか」と思っていたのですが、これは“岩波文庫的“でした。確かに“文庫“ではあるのですが、岩波文庫の一冊に入ったわけではなく、“岩波文庫的”な装丁で発刊されたのでした。本書には、巻末に伊坂幸太郎の特別寄稿が掲載されていますが、“岩波書店、最初で最後の直木賞受賞作“とも書かれていました。

この小説をどう紹介するか。結構難しいてのですが、岩波書店の紹介文は、こう始まっています。
<あたしは、月のように死んで、生まれ変わるーこの七歳の娘が、いまは亡き我が子? いまは亡き妻? いまは亡き恋人? そうでないなら、はたしてこの子は何者なのか?>

これを事前に読んでいたら、もしかしたらこの本を読まなかったかもしれません。あるいは、佐藤正午の企みに乗ってみようと思ったかもしれません。私は、事前知識なしに読み始めました。

上記の一文でお分かりかと思いますが、もう少しネタバレします。

本書の中に登場する本が「前世を記憶する子どもたち」です。別人の記憶を有する子供、“生まれ変わり“が存在することを示唆する、検証報告です。

“生まれ変わり“をテーマにした小説は、これまで多く登場しています。私はさほど食指が動かないので、“読まなかったかも“と書きました。

本書を読み始め、その臭いを嗅ぎ取りつつ読み進んだわけですが、この小説の中核となる第八章(正確には単に“8“)を読んで、これは凄いと思いました。

この章だけを独立させても、美しい短編小説が出来上がりそうな箇所。小説全体の複雑な構造から、一種異次元の世界、シンプルで純粋で、手を触れたら壊れてしまいそうな世界。

佐藤正午の「月の満ち欠け」は、この第八章で描かれた純愛を、小説という虚構の中に組み入れ、佐藤正午にしか作り得ない世界に仕立て上げた。

そんな作品だと思います。

“生まれ変わり“が存在するのか否か。そんなことよりも、純粋な愛情は永遠に続く。そのことこそが、重要な真理のように感じるのです。そう言えば、昨日まで書いていた「牡丹灯籠」。新三郎のことを愛するお露は、幽霊となって彼の元へ日参します。純愛は、幽霊になったり、生まれ変わったりする動機になるのでしょう。

やっぱり佐藤正午の小説をもっと読まなきゃとも思わせるのでした


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