“冗長さ“を二度楽しんだ〜佐藤正午のたくらみが満載「鳩の撃退法」
20年近く前、行きつけの飲み屋のカウンターで、出版社の文庫本担当者と隣り合わせになった。おすすめの作家を尋ねると、トマス・ピンチョンの名前をあげた。もっとハードルが低い人はいないかと聞くと、佐藤正午の名前が出た。私も気になっていた作家だが、未読だった。
早速に、デビュー作「永遠の1/2」(1984年)を読んだ。面白かったが、なぜか続かなかった。その後も、気にかかりながら読めなかった。特に2014年の「鳩の撃退法」、直木賞受賞作となる「月の満ち欠け」(2017年)は、絶対に読まねばと思っていたが遠かった。こういう作家が稀にいる。
通勤時にAudibleで聴く本を探していると、「鳩の撃退法」があった。結局、2度聴き通すことになった。
最初は、ちょっと冗長なのではと思ったが、進めるうちにこの“冗長さ“こそが、この小説の値打ちであり面白さであることが分かってきた。
<この物語は実在の事件をベースにしているが、登場人物はすべて仮名である。僕自身を例外として>と始まる。
“僕“こと津田伸一は、直木賞作家だが小説を書く手は止まり、デリヘル嬢の送迎車を運転している。なお、この作品を上梓した時点では、佐藤正午は直木賞作家ではない。 津田は深夜のドーナツショップで、バーのマスター幸地秀吉(コオチヒデヨシ)と遭遇する。この本の中で発生するさまざまな出来事の登場人物の一人である。津田が持っていた本は、J.M.バリー著 石井桃子訳の「ピーターパンとウェンディ」、古書店で購入したものであった。
こうして小説は始まり、多様な謎が読者に提示されていく。ただし、そんな単純な作品ではない。この作品世界には、小説内で起こる実在の事件、それを基に津田伸一が書き進む小説内小説、そしてその全体を俯瞰しながら「鳩の撃退法」という作品を仕上げていく本物の小説家・佐藤正午が存在する。
この三重構造は、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。読み手にとって、読んでいる箇所が小説内の現実のか、津田が書いている小説なのか、しばしば判然としなくなる。それが、不思議な世界を作り上げていく。
散りばめられた謎が、徐々に解消していき、小説は終了する。唐突に放り出された感覚の中、再度最初から聴き返した。すると、最初は気が付かなかった、佐藤正午のさまざまなたくらみを発見する。
小説にしかできない表現法を極めたような、小説の中の小説。やっぱり、“must read“だった。
小説とは、小説家とは、事実とフィクションは何が違うのか。佐藤正午がそれらと向き合った作品でもあるように思う。
次は、“岩波文庫的“「月の満ち欠け」だ
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