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加害者・被害者・罪・罰・赦し、これらは一体なにか?〜平野啓一郎「決壊」

ふとしたきっかけから、平野啓一郎作品を初めて読んだ。それが「ある男」(2018年)で、これが素晴らしい小説だったので、続けて「マチネの終わりに」(2016年)、「本心」(2021年)と読み、記事にした。

意図したわけではないが、これらは現時点で単行本化されている最新の三作品である。

過去の平野作品はどのようなものだったのか。本人の公式サイトを見ると、小説のキャリアを四つに分けている。

芥川賞受賞作「日蝕」(1998年)、「葬送」(2002年)を含む第1期(ロマン主義三部作)、第2期(短編・実験期)、第3期(前期分人主義)、上記三作を含むのが第4期(後期分人主義)である。

私が読んできたのが“後期分人主義“ならば、“前期“というのはどのような作品群なのだろう。気になった「決壊」(2008年 新潮文庫)を手に取った。

本作の感想の前に、“分人主義“とはなにか。平野啓一郎はこう説明している。

<「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。 これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。>(公式サイトより)

最初に提示されるのは、沢野崇(たかし)と良介の兄弟。両親の住む小倉に帰省する、三歳の息子がいる次男の良介家族、遅れて崇がジョインする。崇は小さい頃から成績優秀、運動神経も抜群、涼介は『沢野君の弟』という存在。両親・良介の妻を含む、彼らの関係性からは、なにか不穏な空気がただよう。

彼らとは別の世界には、一人の中学生北崎友哉が存在する。危険な存在で、彼は“犯罪“へと進んでいく。一見無関係な沢野家と友哉だが、真に隔絶した世界は存在しない。特に現代においては“ネット“というものがその距離を縮めている。それは幸福とともに悲劇を生みだす可能性がある。

フィクションである。ミステリー小説的な、エンターテイメント性も有し、読み物として一級品である。しかし、怖い本だ。誰しもがいずれかの登場人物の役を与えられる可能性がある、現実世界において。例えば、私の投稿も、何かの拍子に攻撃の対象になり得る。オリンピアンという、栄光の場所にいる人ですら、誹謗中傷する不特定多数が出現する世の中である。“誹謗中傷“ですめば、軽傷なのかもしれない。

被害者とは? 加害者とは? 一体、どのような存在なのか。そもそも、誰が被害者で誰が加害者なのか? 罪とは? 罰とは? 小説に登場するさまざま人物、彼らの本当の人格とは?

重いテーマが満載されている。その中で、“赦し“というものが、特に心に残った。

上記の通り、私は「決壊」の後に書かれた“後期分人主義“作品を先に読んでいるので、それぞれのテーマが、姿を変えて表現されたことも思い出しながら読んだ。

今、誰かから読む順番を訊ねられたとするならば、「決壊」を先にと答えるだろうと思う


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