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「立川談春芸歴40周年記念興行」第1ラウンド(その2)〜談志から弟子へと継承された「包丁」

(承前)

師匠の立川談志が1999年に「席亭 立川談志の“ゆめの寄席“」という10枚組のCD-BOXを編集・発売された。中野翠がどこかで<今年一番うれしかったモノ>として紹介しているのを見て、早速購入した。色物も含めた名人芸が収められた素晴らしい企画である。(今や、なんと#芸歴40周年記念興行 #十徳 #白井権八 #包丁%20%20https://note.com/hoodroad/n/n6eef5a6b68a9" target="_blank" rel="nofollow noopener">Audibleで配信されている)

当然、“昭和の名人“の一人、三遊亭圓生も入っているが、演目が圓生の十八番とされた「包丁」。この録音が面白い。

談志は1974年自身の独演会“ひとり会“の演目として「包丁」を出しており、高座に登場する。「この噺、簡単にできると思ったが、実に難しくて」と言い訳しつつ「いずれ今年中にはなんとかやろうと。。。今日はですね。。。」とし、(めくりが返る音)〜拍手〜出囃子「正札附」が流れる。談志が一言「本物の名人が出ます」。こうして登場した圓生は実に嬉しそうに語り出す。

圓生は、この噺は“音曲噺“だとし、かつては音曲師の演目であったことを「圓生百席」に残した録音などでも解説する。音曲師が演る音曲噺、落語家の素噺と互いの領域に線引きがあったことを伝える。したがって、三味線こそ入らないが、クライマックスで寅が小唄を歌う場面が重要である。談志はここが出来なかった。

1988年3月4日、有楽町朝日ホールで立川談春、立川志らくらの二つ目昇進披露興行が行われた。談春著の「赤めだか」(扶桑社文庫)にはその時の様子が書かれている。豪華ゲストが並んだ公演、トリで登場した立川談志、談春は<何を演るんだろうと観ていた。根多はなんと、包丁だった。おそらく根多おろしだろう>(「赤めだか」より、以下同)。そして、前述の圓生が代演したエピソードを記している。

談春は<聴いていて鳥肌が立った。>。得意ネタで観客を沸かせることはせず、落語への対峙の仕方、<噺家にとっての歌舞音曲の大事さ>を、身をもって弟子に伝えようとする師匠の姿に震えたのである。

後年、談春・志らくとも、真打昇進をかけて談志の前で演じたのは「包丁」だった。

私の手元にある、談志版「包丁」の音源は二つある。一つは、2006年4月のライブ録音、もう一つは「談志百席」としてスタジオ録音したものである。どちらの録音でも、談春の「包丁」を褒めている。そして、「談志百席」の方では、「今回は『包丁』に挑戦する」としている。それほど、談志にとって難しい演目だったのだ。

前述の通り、「包丁」は圓生が完成形を作った。談春はそれを踏襲しながら、自身の工夫をこらす。ねずみいらずにある器は二つあり、片方に佃煮が入っている。糠床には大根が入っているが、それはまだ浅く、それをどけると食べごろのカブがある。聴いたことのない方には、なんのことだか分からないだろうが、談春版「包丁」は、圓生の端正な姿を保ちつつ、落語的な楽しさを盛り込んでいる。

立川談志は決して「包丁」を得意にしなかったが、師匠の思いが弟子に伝わり、二代で作り上げられた立川流「包丁」は我々は楽しむことができている。

演者と共に、家元・談志に感謝である


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