ICU⑥|受け継がれた日記
夫婦でゆっくり過ごしていた中、約束の時間となり私の両親が迎えにきた。
さっそく私の父が運転する車に乗り込み、病院へ向かう。
ICUには「1日1回、15分、2名まで」というルールがあるため、面会は4人全員では出来ない。
私の両親からしても “初孫” であり、息子にとっても “じいじとばあば” 。
一瞬、今日だけ譲ることもよぎったが、私たちの気持ちを尊重してもらい、本日も私たち夫婦が面会することになった。
早速到着し、両親は車の中で待機してもらい、まずは冷凍母乳を預けにNICUへ。
この日は受付の対応だけで終わり、すぐにICUの方に移動した。
ICUに到着。
しかしながら、この日も待ち時間は長い。
(毎度これはしんどいな...)
と考えながらも、5分ほどで扉が開いた。
そして、看護師に案内され、さっそく息子の元へ。
ベッドに着くや否や、私たちはすぐに声をかける。
「凰理〜、お父さんとお母さんきたよ!」
「本当に頑張ってるね!」
「ゆっくり、落ち着いて回復させていこうね!」
「15分」という短い時間。本当に1分1秒が惜しい。
昨日に比べ、顔色は良くなっていてホッとしたものの、浮腫みがさらに酷くなっており、明らかに “肥大化” している。
顔が1番目立つが、腕や太ももまでもパンパンに膨れ上がっていた。
少しして医療チームの外科医(面談した医師ではないもう1人の方)が報告に私たちの元へ。
引き続き容態は安定しており、投与薬も減薬したり、ECMOの圧も少し下げ、 “自分の心臓” も使ってくるようになったということだった。
(肺はまだ休ませている状態らしい)
また、見た目とは裏腹に、数値の面ではかなり改善されていきているようで、これには私たちも安堵した。
しかしながら、懸念点として、「感染症」が現れ始めているとのことだった。
昨日から今日にかけて症状が出てきたようで、実際、息子の左足の先は “真っ黒” になっていた。
元々、想定されていたものではあるが、これがまた惨い。
ECMOの離脱さえできれば、症状は落ち着いてくるとのことだったが、かなり蝕まれているということは一目でわかった。
「凰理くんは、本当に頑張っています」
と医師が言うように、息子は命を懸けて闘っていた。
「凰理、本当に凄いよ、よく頑張ってるな...」
「さすがお父さんとお母さんの子だ」
と、私も頭を撫でながら声をかけた。
ただ、感染症は出始めているものの、ECMOに乗っている以上、これは避けて通れないものであり、それを考えれば経過自体はかなり順調ということだった。
また、「離脱トライ」 の予定は月曜日で変わらず、このまま安定した状態で回復して、望むことができればということであった。
報告も終わり、最後に私の方から医師に尋ねる。
「...ちなみに、この輸血パックに印字してある『B』というのは、血液型が『B型』ってことですかね?」
すると医師からも、
「あ、そうですね、『B型』です^^」
出生時の検査で、「B型」と判定が出たそうだった。
ただあくまで現時点でということにはなるが、輸血の際はB型で対応しているとのことだった。
「やっぱりそうだったかぁ〜」
「性格は “お母さん” に似てくれよな〜本当に!(笑)」
改めて私も息子に話しかけ、夫婦で盛り上がる。
そして、NICU時代に看護師に書いてもらっていた「成育日記」がICUにも共有されたようで、ICUでも引き続き記録をつけてくれるとのことだった。
24時間のうち「15分」しか私たちが息子と触れる機会はない。
それ以外の時間、息子がどう過ごしているかというのはやはり気になるし、本当にありがたかった。
後に私たちの「宝物のひとつ」にもなるのだが、ICUという “特異な環境” にも関わらず、この日から息子が旅立つ日まで、毎日欠かさず書いてくれたICUの看護師の方々には、本当に感謝しかない。