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キズ『リトルガールは病んでいる。』

 わたしはこの曲を初めて聴いた時、「なんてかっこいい曲だろう」と魅了されるのと同時に、「なんて哀しい曲だろう」と打ちのめされました。

 タイトルからは「10代の女の子が心を病んでいるという内容の曲かな?」と想像したのですが…。

 実際に聴いてみると全く違いました。

 これは強烈な反戦歌。

 
 以下はわたしの解釈なので、作り手からすると本当は違う意味を込めたのかもしれませんが…、

 恐らくこの曲における「リトルガール」は、アメリカ軍が広島市に投下した「リトルボーイ」に由来するのではないでしょうか?

 きっと「リトルガール」とは、世界のあちこちに今もなお幾つも存在する核兵器のこと。

 核兵器を「核兵器」と直接的に表現せず、敢えて少女として擬人化することで、その危うさを描いているのではないでしょうか?

 この曲のMVでは、少女が「なぜわたしは生まれてきたの?」と嘆くかのような表情を浮かべています。

 少女は「誰かわたしを止めて」とでも言うかのように、痛々しく救いを求めているように見えます。

 しかし、きっとその正気を保っているのは細い細い糸のようなもの。

 次の瞬間にはその糸が切れて爆発してしまいそうな…、そんな恐ろしさも秘めています。

 この曲には、戦争を起こす人間がいくら正当化しようとも本当は戦争には何の大義名分もないことや、キノコ雲の不気味さや、過去の戦争の悲惨さを顧みない人間への批判が込められているとわたしは思います。

 人を殺す正義など無く、兵器が幸せをもたらすことなど無いということを歴史が物語っているというのに、一体、何回何百回何千回繰り返せば人類は学ぶのか? と。

 今この瞬間にもどこかで誰かが兵器を作り、売り捌き、誰かが誰かを殺しています。

 また、この曲は、ロシアによるウクライナ侵攻にNOを突きつけるだけでなく、もしも醜い争いの果てに一握りの人類だけが地球上を支配するようになったとしてもそんな愛なき世界には終わりしか来ない、というメッセージを込めているのではないでしょうか?

 この曲の終わりは、まるで悲鳴をあげているかのよう。

 聴いていると胸が張り裂けそうになります。

 悲鳴をあげているのは「リトルガール」なのか?

 地球なのか?

 殺された人々なのか?

 或いはこれから殺される人たちをも含むのか?

 聴き手によって解釈が異なるでしょうが、わたしはその答えは全部だと思います。

 この曲こそ真のロック。

 しかし、「リトルガール」の存在もさることながら、この曲の存在そのものも哀しいとわたしは思います。

 もしも世界が平和であったなら、きっとこの曲は生み出されなかったはず。

 この素晴らしい曲と出会えたのは僥倖だけれど、この曲が創造されたのは今もなお誰かが誰かを殺し続けているという冷酷な現実があるからで、決してそこから目を背けてはならないと気づかされます…。

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