the GazettE『紅蓮』
仏教の八寒地獄の一つ。
「紅蓮地獄」。
この地獄に堕ちた者はそのあまりの寒さのために体が裂け、血を流すそうです。
地獄の名前をつけられたこの曲を聴く度、わたしは様々な人の気持ちを想像しようとします。
たとえば、せめて子どもだけでも…と懸命に子を生みだそうとしているのに、子の命とともに自分の命が尽きていってしまう母親。
たとえば、妻と子を慟哭しながら看取る父親。
たとえば、母の胎内で「おかあさんどうしたの…?」と不安に震えながら、母の温かさが冷めていくのを感じ、だんだんそれすら感じられなくなっていく子…。
…これは、そんな地獄の苦しみが歌い込まれている曲。
誰の立場で聴いたとしても心を深く抉られ、引き裂かれます。
まさに紅蓮地獄のように。
また、わたしはこの曲を聴く度、もう1人の存在を感じます。
そんな3人をじっと見つめている、人ではないものの存在を…。
たとえるなら、狩野芳崖の絶筆『悲母観音』がわたしのイメージする姿に最も近いです。
きっとその存在に名前はありません。
神でもなく、仏でもない、名も無き何か。
でも、すべての人を生まれる前から愛しています。
誰もその存在に気づかないけれど…。
その存在は、赤ちゃんたちが生まれる時に泣き声をあげるのを、嬉しそうに見つめます。
誕生の痛みにも優しく寄り添います。
抱きしめたり頭を撫でたりすることは出来ないけれど、心から愛しています。
やがて子どもたちが成長し、嫌なことや悲しいことがあって涙を流すようになるのも、成長の証として微笑みながら見守り続けます。
泣く姿から目をそらさずに。
泣く声に耳をふさがずに。
痛みも悲しみも喜びも一緒に感じています。
誰もそのことに気づかないけれど…。
子どもたちの涙を拭ってあげることは出来ません。
子どもたちに涙を流させたものを罰することも出来ません。
愛する子どもたち同士が傷つけ合い、殺し合ったとしても、何もしてあげられません。
生き返らせてあげることも出来ません。
死んでしまった愛する子の名前を呼ぶことも出来ません。
死んでしまった子がこれから産むはずだった子や、その子が誰かに何らかの影響を与えることによって生まれてくるはずだった子、そしてそのずっとずっと先の世代として生まれるはずだった子どもたちを本来優しく包んだであろう沢山の揺籠を想い、涙も出せずに泣いています。
どこにも存在しないその揺籠たちが揺れる音を聴こうと耳を澄ませながら。
どこかで産声があがるのを聴こうと耳を澄ませながら。
あなたの居るべき場所は此処、此処までおいで…と声も出せずに叫びながら。
けれども僅かな吐息さえも聴こえない…。
…そんな残酷な光景をも、この曲は想像させます。
これもまた地獄…。
救いのないこの紅蓮地獄にいつか蜘蛛の糸が垂らされるとするならば、それはきっと新たな産声。