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『勝てない野球』

しんと静まった部屋で、必要以上に手に、心地の悪い汗を書きながら、
大きな絵画(あれはフェルメールのコピーだろうか)が掛けられた、会議室の椅子に並んで座り、僕と友人のNは待機していた。

東京都千代田区霞が関にあるビルの一室。
僕たちは、とある事情で仲裁を依頼した、弁護士の先生を待っていたのだった。

僕たちは、実の兄からの100万の不当な請求におびえ、今まさに、藁にもすがる思いで、この弁護士事務所の扉を叩いたのだ。

そう、これは、いつまでも勝てない野球を続けさせられていた僕が、その野球をようやく終わらせる話だ。

*  *  *

初夏、セミの鳴き声が、庭先に茂る桜の木々の方から、耳をつんざくような大音量で聞こえてくる。
僕は、バットとグローブを抱え、大好きな野球をするため、近くの小学校の校庭に向かう準備をしていた。

「おい、もぉー。なにやってんねん。遅いぞ。早くしろや!」

「ちょっとまってや」

僕よりも先に、庭先にでて、バットをブンブンと振り回していた、兄がしびれを切らした様子で声をかける。
和歌山県の最南端、山間の小さな田舎にある祖母の家に、僕と兄は夏休みの間、遊びに来ていたのだった。

「ほら、はやくいくぞ」

「う、うん」

僕たちは、午後になると決まって二人で野球に出かけた。
野球、といっても、メンバーは二人しかいない。当然プレイやーはピッチャーとバッターのみ。
キャッチャーもいなければ、内野手、外野手、審判もいない。

野球と言っていいのかもわからないが、僕たち兄弟はそれを野球とよび楽しんでいた。

バックネットをキャッチャーがわりに、ピッチャーマウンドよりかなり前の位置にマウンドを設定し、ボールを投げ込む。
打者はバックネットのすぐ前に立ち。ホームベース代わりに、自分が守備のときに使うグローブを置くのがお決まりのスタイルだった。使うボールは、少年野球などで使用されるものと同じ軟球だ。

田舎の小学校には校庭とは別に、広い野球用のグラウンドがあった。
休みという休みが少年野球や、少年サッカーチームのいち団で満杯になる都会のそれとは違い、夏休みだろうが、休日だろうが誰も使う人はいない、その広いグラウンドを僕たちは二人で目一杯に使って野球をしていた。

「ストライーっく!」
「今のは絶妙なスライダーやったな!お前見えへんかったやろ?」

山の裾野、小川を挟んですぐに広がるグラウンドに、セミの応援歌が響き渡る。そのグラウンドでひときわよく通る、兄の満足げな声が響く。

「いや、今のボールちゃうん。低すぎるわ」

非力な声量で、僕はかすかに判定への抵抗を示すが、すぐに言葉によって反論を食らう。

「いや、もうお前見えてへんやろ?」
「めちゃくちゃストライクゾーンやったやん。」
「とりあえずワンナウトな。」
「やっぱ、俺のスライダーとカーブがめちゃくちゃかかってるからな。」

そうして、僕は自分の攻撃のイニングをすぐにおえ、長い長い守備につくのがお決まりの流れだった。

僕と兄は、3つ歳が離れていて、当時の僕は12歳、そして兄は15歳だった。
それだけでも、かなりのハンディキャップを負って、野球をしていたのだが、僕の背負っていたハンディキャップはそれだけではなかった。

「おまえ今のは空振りやわ。三振!スリーアウトチェンジっ!」
「ボールっ!おっとほにゃ選手。コントロールが乱れているぞっ!」
「セーフセーフっ!今のは、兄選手の足がわずかに早かった!ほにゃ選手どうしたんでしょう。動きが若干鈍ってますね。」
「フェアっフェア!おっとギリギリファールラインの内側!兄選手またもツーベースヒット!」

ここぞという場面のあらゆる判定で、審判は兄のチームに味方した。
兄は満足げに、プロ野球の実況を真似しながら審判を下し、自分中心の野球ゲームを楽しんでいた。そう、これはフェアなルールに則った野球ではないのだ。兄の満足感を満たすために、兄がコーディネートし、プロデュースした兄のための野球ゲームなのだ。

ギリギリの際どいところで、いつもルールが捻じ曲げられ、僕の気力はどんどんと損なわれた。そして、炎天下のなか、長い時間バッティングピッチャーをやることを甘んじて受け入れていた。そんななか、なんの疑いもなく、ただ野球が好きという理由で、毎度兄の野球の誘いに乗っていたのだった。

そんなある日、僕は変えようのない事態を導いてしまう。

「さぁ兄選手、今日もスライダーが冴えてますね。」
「ほにゃは手も足も出ません!」

意気揚々と兄は、いつもの如く、饒舌な実況を交えながら、短い僕の攻撃を終わらせようとしていた。いつもはうるさいほどに聞こえてくるセミの応援歌は、なぜか鳴り止んでいる。
どうやら夕立がくるようだ。曇天の曇り空をふと眺め、バッターボックスに入った僕は、なんの期待もなく兄の投げる、へんてこな変化球を待っていたのだった。

そう、あれは兄が投じた2アウト2ストライクの三球目ーー。

球は切れ味の悪い、フォークだった。ストレートよりも明らかに遅い球速で、僕の足元で、球筋はやや下がっていた。

その球が僕には止まってみえた。ホームベースの代わりに足元に置いたグローブの、やや上を通過する、その瞬間。
完璧なタイミングで、僕の振り下ろしたバットがボールを捉えたのだった。

弾性の強い、軟式ボールがぐにゃりと変形する感覚がバットを通して伝わってくる。そして、その変形したボールの反発力を振り下ろした僕のバットは容赦なく前方へと押し返していく。

ボールはセンター方向へと高く上がりそしてはるか遠くへと飛んでいく。
無言の間が、グラウンドを支配する。

遠くセンター方向のフェンスを超え、道路の向こう側でボールがバウンドする音がかすかに聞こえた。

きまずい雰囲気が流れ、ぼくは無言でボールの行方を眺めていた。

「…………」
「………」
「…。」

しばらくそれを見届けた兄は振り返り、そして口を開いた。

「おまえ、今のはあかんやろ。」
「え…。」
「オレが明らかにきいつかって、手ぬいて投げてんのに」
「それ思いっきり打ち返すとか、あぶないやんけ。」
「ごめん…。」

「お前、ボールとってこいや。」

この日僕は、気づいてしまった。僕がやっているのは、一生勝てない野球なんだと。多少、判定や年齢によってハンデはあるけれども、自分がうまくなればいつか勝てると信じていた、あの頃。しかし、それは全くの幻で、実際は、兄に気を使いながらいい具合に負ける。それが求められる、接待としての野球だった。あくまで全力のフリをしながら決して、上回らない力で戦うことが、この遊びには必要だった。

*  *  *

相手は、兄の〇〇さんで間違いないですか。
向かいの椅子に座った、二人の弁護士が、数枚の書類を机に並べ、僕に確認を促した。

「はい、間違いありません。」

兄からの100万円の金銭の請求に、不当を申し立てる内容証明を送るのだ。この事態の、事の発端は、兄からの誘いだった。

それまでに、起業し一定の成功を収めていた兄は、当時、ITベンチャーでサラリーマンをしている僕たちにこういった。

「なぁ、お前ら起業してみいへんか」
「金ならオレがだしたるから、お前ら好きなことやってみいや」

この時点で気づくべきだった。僕たちが、勝てない野球に参加させられている事に。

話は尽く噛み合わず、最終的に、起業の話を断念することになった。
最後に兄に、「申し訳ないがやはり、起業をする事はできない」と告げたとき、兄は声を荒げてこういった。

「お前らとは立場が違うねん!ええかげんにせえよ。」
「言われたこと、なんでできへんねん。」

彼は、彼の野球を今もプレーしていた。
それに付き合うことはもうできない。
自分のやり方で、勝利することが、罰則になり得る彼の野球に付き合う事は、自分捨てて、延々と彼のホームランのための、バッティングピッチャーをやる事と同義である。僕はもう、物事の善悪も、野球のルールも人並みに理解できる、大人なのだ。社会にでて、実力で勝負し、その実力を受け入れ、努力している、大人なのだ。

僕はこの野球を終わらせる。
勝ち負けではなく、正しいルールのもとに、正しい判定を求めるのだ。

こうして僕の長い長い、延長線『勝てない野球』は幕を閉じたのだった。

*  *  *

世の中には、あらゆるルールが成り立っている。
力のあるものは、ルールを規定し、力なきものを支配する。
しかし、それを一概に悪いと否定することはできない。
その中で、残される成果があり、それが人類を進化させてきたことも、また事実だ。

過去を振り返っても、兄の規定していたルールの中で、遊ぶことが間違っていたとは断言できない。
昨今のパワハラ問題もしかり、なにが成果をだして、何が、いびつな、撲滅すべきルールなのかは、もはやわからなくなっている。
信じたものが救われる世界。新興宗教のそれのように。疑わないものは、その中でも幸せを感じられるのかもしれない。

なら、だからこそ。
僕は僕のルールを信じる。そして、自分のルールの中で幸せを感じられるように生きる。
誰かの作ったルールや価値観を信じ、それに合わせていきることは、自分をすり減らすことに繋がる。
ちょうど、僕が延々と勝てない野球で、兄のバッティングのための、ピッチャーをやらされていたように。

皆さんも、ぜひ、だれかのルールの中で幸せを感じるのではなく、自分自身の力で、他者と折り合いをつけながらも、ルールを作りその中で、多くの幸せを感じられるようになってください。

僕が経験した『勝てない野球』を通して、導きだした僕の考えは以上です。

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