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映画「すずめの戸締まり」が描く『椅子取りゲーム的、世界観。』

まずは謝罪から

新海誠監督の大ファンとして、大衆ウケ狙わなくていいからという気持ちで観る前に、こんなことを思ってしまっていましたが、全然間違いで最高でした。すみませんでした。

私と新海誠作品。

おめぇ新海誠監督と関係ねぇだろ!こんな私的なくだり書いてんじゃねぇよ、興味ねぇよ!というツッコミがあるのは十分に理解しつつも、手短にでよいので、書きたい。どうしても書きたい。手短とか言っときながら、割と長々と書きたい。要は古参アピールというやつだ。気持ち悪いファンの僕を笑ってやってくれ。

初めての出会いは、遡ること十数年。高校1年生のときだった。
「雲のむこう、約束の場所。」のDVDをレンタルビデオ店で、手にとり友達の家に泊まり込みで、何度も見たのが始まりだ(自分の家にはDvDは愚かTVすらなかった)。アニメオタクだった僕は、朝の情報番組で取り上げられていた、その作品を、鮮烈に記憶しており、どうしても見たいと思っていた矢先に、DVDを発見して、1ミリの迷いもなく借り、そしてとてつもなく感動したのだった。

「雲の向こう、約束の場所」で描かれていたのは、なぜか記憶にあるような憧憬。描いてほしい田舎のまちの、瑞々しい日常が描かれ、さらに日陰者の青春の最高到達点とでも言える、思い描くすべてが詰め込まれている、そんな作品だった。(てかタイトルでもう全力でカッコよくないか?中二病と揶揄されるのは理解しつつも)

「東京に上京し、孤独に街を徘徊する主人公」のイメージが自分に重なり、なぜか今まさに、その運命を体現している自分がいる。僕の人生を描いたかのような作品とも言えるだろう。(←)

新海誠信者として、当時の僕は、毎日ブログをチェックしたり。彼女と彼女の猫のセリフをすべて覚え暗唱したり、秒速5センチメートルが発表されたときには、「テアトル梅田」に公開初日に見に行ったりしていたのだった。

そして本題へ。

映画「すずめの戸締まり」を本日観てきた。
この作品は、上述の僕のような、監督作品と共に、青春から大人の時代を歩いてきた、おじさんファンのインサイトを確実に捉えた作品だったといえる。

少し冷静な分析のようにも思われるかもしれないが、本当にいい作品だったし、もう一度見たいし、全然悪い意味なんかではない。

プロデュースの偉大さ

確実に、エゴで描かれていた私的な作品から、日本中、ひいては世界から人気を得るための、商業的な大成功を目指す普遍的な作品へと進化していると感じた。

単に商業化したわけじゃなく。監督のエゴや、趣向が存分に反映された上で、商業作品として抑えるべきポイントをめちゃくちゃ抑えているといった感じだろうか。

廃墟探訪、ロードムービー(昨今の旅系youtubeチャンネル的な味わい)、オラフ的いすキャラクター、シシガミ的みみず、ジブリ的な飯、ムー的地底黄泉の国。地方の商店街、古き良きスナックの味。

新海誠監督の好きな要素と、昨今の時代的なインサイトや熱狂的新海誠信者の生息する30代おじさんのインサイトを適切に捉え、王道のあるべきエンタメ要素を適切に散りばめた、企画の作りになっていたように思う。
このあたりの、ものづくりの上流行程のうまさは、やはり「君の名は」から加入した川村元気Pによるものなのだろうか。
もはや、ディズニー・ピクサーを超えるチームができてきているのでは、とさらなる飛躍の可能性を感じ、驚嘆した。

作品のメッセージについて

要石、常世、後ろ戸。見えない世界の向こう側で、身を呈して今の暮らしを守っている人がいる。物語全体を貫いているのが、このメッセージだと思った。

誰かが犠牲にならなきゃいけない『椅子取りゲーム的な世界』で、上辺を擦って深淵を知らずに生きている現代人にむけた、ある意味警告的なメッセージのようにも感じた。

作中で宗像草太が
「大事な仕事は、ひとに見せなくていい」
みたいなセリフを言っていて、そう言う人たちに支えられて今の便利な世の中が出来ている。というメッセージに感じ、すぅごく印象に残った。なんか大成建設ぽいけど

オムニバス的に各キャラクターにもそれぞれの葛藤があり、テーマ性のあるメッセージが込められていた。

例えば、大切な人が要石になってしまうことを受け入れられない、若気の至りとも言える勢いで復活に邁進する、すずめ。御茶の水病院でのじいさんとすずめのやりとりは、天気の子のコアにあった、ジュブナイル的青二才の衝動を、徹底的に肯定する新海誠節だったように思う。
このメッセージはいつのまにか、出来上がってきたように思うけど、思い返してみれば、好きな人を取り戻すために、ユニオンの塔をぶっ壊したあの、雲の向こう、約束の場所の時代から認められていたメッセージだったのかもしれない。

相変わらず、主人公ふたりの決定的な結びつきは完全に描かれず、匂わす形で終わっているが、本来の新海誠監督であれば、きっと2人が要石になるような、世間的バッドエンドも全然あり得ただろう。

その点、きっちりと解決までを描ききるあたりが、やっぱりちゃんと商業映画として覇権とりに行ってるなぁと思わされる点だった。

ロードムービ的に、様々な場所の様々な日常がとにかくよく描かれていて、古くからの新海ファンも大満足だっただろう。
新海ファインダーとでも言うべき、現実世界の切り取り方をしっかりと残しつつもフィクションならではの要素、キャラ、設定や話の動かし方をしつつ、現代の世相を反映した、素晴らしい作品だったとおもう。

唯一言うところがあるとすると、物語のピークが各幕に中規模なものが度々あるような作りになっており、最後の最後のカタルシスが若干弱く感じてしまうところかもしれない。その点「君の名は」のほうがワンパンチが重かったようにおもう。ただ、その分本作は、舞台の切り替わりなどが、色々あり長時間でも飽きさせない良さもあったけれど。

作品をみて

東日本大地震以降、復興もある程度は進み、意識しなくなったとはいえ、どこか元気のない日本。経済的にも大国に大きな差をつけられ、高齢化によって生まれる社会の歪みや、若者の貧困問題など、いくつもの闇が少し目を落とした先に、渦巻いているように感じる。
震災で亡くなった無念な魂や、社会問題から生まれた歪の念が、もしかすると、本当に目には見えない常世に渦巻き、まさしくみみずのように現世に噴き出てきているのかもしれない。

築き上げられた現代社会の恩恵を際限なく享受し、常世には目もくれず、豊かさを貪る日本人が、気づき覚醒するときは来るのだろうか。

この先誰かが身を犠牲にして、常世の渦を抑えるべく要石にならないといけないときが、くるかもしれない。

そんな事を考えさせられる作品だったと、僕は思う。

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