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文学研究に骨を埋めて【インタビュー記事#08:青い眼がほしい】

大切な一冊をおすすめしてくれた人と、1冊の本を出発点として人生を語り合うインタビュー記事第8弾。今回は、アメリカ文学を中心に精力的に文学研究などに取り組み、日本女子大学・人間社会学部で教授を務めていらっしゃる杉山直子先生にお話をお伺いした。
おすすめいただいた本は『青い眼がほしい』。「黒人」女性として初めてノーベル文学賞を獲得したトニ・モリスンの代表作である。
(なお、本記事では人種分類が恣意的・政治的なものであることを鑑み、本文中では「黒人」と鉤括弧をつけています。)

おすすめのメッセージはこちら↓

神様、どうかわたしの目を青くしてくださいーー黒い目、黒い肌、縮れた髪の「黒人」少女ピコーラは、醜いとさげすまれて精神を病んでいく。ノーベル賞作家モリスンが少女の内面を瑞々しく詩的に描いた長編第一作。

米文学研究者としての未来を決定づけた一冊

本屋余白(以下、「余」):本日はお時間をとっていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします。
杉山直子先生(以下、「杉」):こちらこそ、よろしくお願いいたします。
:早速ですが、自己紹介を。大学教授をされていらっしゃるんですよね?
:はい。現在は日本女子大学の人間社会学部でアメリカ文学の研究を中心に行っています。
:アメリカ文学ですか!ということは、今回おすすめいただいた『青い眼がほしい』も研究と関わりがあるのでしょうか?
:そうですね。まさに私がアメリカ文学の研究者を志すきっかけになった一冊、ということになりますでしょうか。
:おお…!これは面白いお話がお聞きできそうですね。
そうなりますと、杉山先生がこちらの本に出会った経緯をお聞きするところから始めるのが良さそうです。
:もともと高校生の頃からアメリカ文学は好きだったんですね。私が高校生の頃って、ちょうどアメリカ文学が流行ってた時期でもあったんですよ。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』をとりあえず若い人は読む、みたいなね(笑)。
:(笑)。
:あとは、高校生時代に1年間、アメリカに留学に行ったのも大きな理由の一つです。ホームステイ先が「黒人」のご家族だったんですよね。「黒人」っていうと、今ですら少し「スラム」とか「虐げられている人々」とか、ネガティブなイメージを持ちがちじゃないですか。当時はもっとそうで。
でも、そのご家族は普通の家族でした。むしろ、差別の経験があるからこそ真面目でしつけの厳しいところもあって。私は実家が比較的自由にさせてくれたのもあって、そのご家族といると「これもダメなの?」ってカチンとくることもあるくらい。
一方で、現地の学校では厳しい現実を垣間見ることもありました。真面目に勉強しているのにお金がない生徒や、高校生なのに子どもを2人も抱えている生徒がいたりね。
あるときは、学校で男の子に連絡先を聞かれたんです。家に帰ってそのことを話したんですけど、そしたら「知らない人に電話番号を教えちゃだめだ」って言われたこともありました。きっと何か危ないことに巻き込まれる危険もあったんでしょうね…。
とにかく、そうやって若いうちに自分の目で、現実のアメリカを見ることができたのは大きかったなと思うんです。
:かなり濃密な体験だったのですね…。もともとのアメリカ文学に対する興味と、アメリカ留学の経験が合わさって、大学でもその分野を専攻することにしたと。
:そうですね。そして、大学に入って出会ったのがトニ・モリスンでした。
:本作の著者ですね。どうやって出会ったのですか?
:当時はそれこそアメリカ文学といえばサリンジャーとかだったのですが、もう他の人が研究し尽くしているものを研究してもしかたがない気がして。ちょうどその頃、朝日新聞社が出した黒人女性文学の全集を読んだんです。どれも面白くて、夢中になって全部読みました。
その中の一編が、『青い眼がほしい』でした。どれも良かったけれど、やっぱりトニ・モリスンが魅力的でしたね。
:素敵な出会いですね。
:でも、当時の日本ではトニ・モリスンはほとんど知られていなかったんです。こんなに素晴らしい作品なのに。
そういうわけで、修士論文はトニ・モリスンについて書きました。アメリカにも院生としてもう一度留学して、黒人女性文学について研究して博士号を取りました。
:本当に、この一作がすべてのきっかけになったのですね…!

極限的で、普遍的な物語

:それでは、『青い眼がほしい』という作品についてお話をお伺いしていきます。まず、著者のトニ・モリスンについて少し説明いただいても良いですか?
:はい。モリスンは黒人女性文学の第一人者ですね。女性としては2人目、「黒人」としてははじめて、「黒人」女性としてももちろんはじめてのノーベル文学賞の受賞作家でもあります。
元々は編集者だったのですが、「自分のような人間が読みたい本がない。だったら、自分で書けばいい」と、筆を取って書いたデビュー作が『青い眼がほしい』でした。
:ありがとうございます!ではいよいよ、本の内容の紹介を。
:舞台は第二次世界大戦中のアメリカのデトロイトのような工業都市です。戦時中の人員不足もあり、それまで雇われなかった黒人も工場で雇われるようになったりしたこともあり、南部から北部や中西部に黒人の人口が移動していた頃です。。
語り手の「私」は「黒人」の女の子。一応家はあって、両親に守られて暮らしているけど、やっぱり貧しい。
中心になるのはピコーラという、「私」と同じ学校に通う小さな女の子です。崩壊した家庭に住んでいたピコーラは、酒飲みの父親に家を燃やされて路頭に迷ったのをきっかけに語り手の家にやってきます。
ピコーラは自分の出自と、何よりも容姿に対して劣等感を感じています。チリチリの髪の毛、真っ黒な肌。これらはどれも、当時の「黒人」文化では醜い容姿とされるものでした。
同じく「黒人」の語り手の女の子が、そんなピコーラの様子を見て違和感を感じることも描かれています。ピコーラは自分の姿にコンプレックスを持っているけれど、同じ姿をした私は自分のことを愛している。でも、彼女の苦しみを見ると自分も傷ついた気持ちになります。ピコーラを貶める世界は、私を貶める世界でもある、と。
…とにかく、ピコーラはその劣等感をもって、毎晩寝る前に、時には妄想の中で、神様にお祈りするのです。私をもっと可愛くしてください。白い肌でも、金色の髪でも、どれか一つで構わない。でももし選べるのなら、私の眼を青くしてください…と。
:タイトルの意味がようやく少しわかりました。一言で表すのは難しいですが、とても胸を締め付けられるお話ですね。
黒人女性文学に興味を持たれた中でも、特にこの作品に魅了された理由をお聞きしても良いでしょうか。
:いちばん言いたいのは、ここまで極限的な状況を描いているのに、すべての人に自分ごととして届く、そんな作品になっていることです。
例えば、自分がもう少し綺麗だったらな、と多くの女の子が願う。そんなありふれた感情が物語の根底にあるからこそ、この物語は私たちの心に響くのでしょう。
だから、これはもちろん黒人女性文学として価値のある文学作品ですが、同時に「黒人女性」という枠組みで括るだけではいけない物語でもあります。この物語が訴えかけるのは、「どこの国にもありうるけど、どこの国でもあってはいけない話」。「誰しも追い詰められれば、絶対にやってはいけないことをやってしまうかもしれない」という、人種やジェンダーにとらわれない普遍性をもった物語。そういう見方でこそ、この作品は強いインパクトを持つと思うのです。
他にも、ディテールの想像能力とか、美しい文体とか、良さは語ればキリがありませんがこの辺で…(笑)。特に文章の美しさなどは、「奇跡のように生まれた小説」と言いたくなるくらいなのですが。

インタビューはオンラインで行いました。

私の中では「現代文学」

:ありがとうございます(笑)。改めて、とっても読んでみたくなりました。
最後に一つだけ。黒人女性文学というレンズを通して数十年間の世の中を見てきた杉山先生にとって、世界の変化はどう映りますか?そして、今の時代を生きる私たちに対してこの本が持つ価値とはなんでしょうか?
:確かにこの本が発表されたのは1970年ですが、私にとって、1970年と今ー2022年は割に「同じ時代」なんですよね。
:同じ時代、ですか…?経済学部の自分からすると(編注:代表小澤は経済学部所属)、5年とか10年っていうすごく短いスパンで社会が変化しているという捉え方をしていましたが。
:地続き、と言ったほうがいいかもしれません。
もちろん変わったことはたくさんあります。でも、戦前と戦後のように大きく社会体制が変化するようなことはなかったですよね。確かに景気の上げ下げもあって、100年に一度の大不況なんて言われもしましたが、世界恐慌や第二次世界大戦や、そんな地殻変動を思い出せば実際のところここ数十年の変化はディテールにすぎないんじゃないかと思うのです。
言うなれば、毎年化粧品のラインナップが変わるようなもの。セールストークに踊らされているのかもしれない。そういう経済状況の変化に対応していかなきゃいけないのは確かなんだけれど、「文学を読む」ということからいうとそれはあまり関係ないことだとも感じます。
:なるほど…。新しい視点です。
:一方で、マイノリティという観点から見ると明らかに前進しているとも思いますよ。オバマが大統領になったことは本当にビッグニュースでしたし人種問題については少しずつ寛容になっているとは思います。もちろん、まだまだ続いている問題もあるけれど。
:文学を通して現場に向き合われている先生のお言葉、説得力を感じます。
まだまだお話ししたかったのですが、お時間の関係で本日はこのあたりで。
本当にありがとうございました!
:こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

まず、自分の専門分野外の教授の方とここまで濃密にお話しする機会がはじめてだったので、刺激に溢れた時間となりました。
アメリカ文学についても『青い眼がほしい』についても、いつまでも止まらないのではないか…と思えてしまうほど縦横無尽な語りに、学問や研究対象に対する深い知見、情熱、そして愛を感じました。
いろいろな方にインタビューをしてきましたが、ここまで文字通り「この一冊で人生を変えられた」方ははじめてでしたね。。。その一冊が小説だったことを踏まえると、(少々強引ですが、)小説が単なる娯楽ではないことを改めて認識させられたように思います。
実は、杉山直子先生は私たちと同じくBookshop Travellerで一箱店主をされています。「本之虫商会」という名前で、私たちのすぐ隣に棚を持っていらっしゃるので、遊びに行かれた方はぜひそちらも覗いてみてください。杉山先生が翻訳された新作『パッセンジャー』(リサ・ラッツ著)も置いてあったりするみたいですよ。


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