本を読むのって偉いんですか?
本くらい読みなよ。
なんて言われた事ありませんか?
僕は言われた経験はありませんが、幼いころから世間の風潮として、”本くらい読め”と言う様な雰囲気があったかのように思います。
そこで、本を読む人は偉いのか考えて見たくなりました。
まずは”偉い”の定義について考えます。
すぐれている。人に尊敬されるべき立場に居る。
普通あるべき程度がはなはだしい。 広辞苑第4版より
手元にあった広辞苑なので古くなってしまいましたが、おおよそ今も同じような意味で”偉い”と言う言葉は使われているでしょう。
今回の定義はこれでいきます。
本を読む人は優れているのか。
うーん。
個人的な意見ですが本を読むという事がその人の能力を表している様には思えません。
優れた人、例えばスポーツマンや会社の社長が良く本を読むと言う話は聞きますが、それは本を読むから偉い、と言うより、偉くなった人がたまたま本を読む人だった。という事なのではないかと思います。
それに優れた人が”偉い!”と言われているのは本を読むからではなく、優れた人が残した結果に対して、”偉い!”と言われるのだと思います。
本を読むことには関係しないかなと言うのが、僕の考えです。
また地位のある人が読書をしていると言う話も聞きますが、地位があるのと優れているのは別問題に思えます。
逆に優れた人は本を読むのか?
本は読まないけど、優れている。
世界には結構、居そうな気がします。
そもそも特性として、文字が読めない。読書できる環境に無い。そんな人が多いのは想像に難くありません。
やはり”偉い”と言われる人は読書をしているかよりも、どんな成果を出したのか、実績を残したのかという事にフォーカスされているように思います。
読書が、偉くなることを補助する可能性はもちろんあります。
ですがその場合、本を読んでそれをアウトプットして結果を残す、実績を残すと言うことになるはずです。
やはり結果を出したことに対して”偉い!”と言われているのではないでしょうか。
普通あるべき程度が甚だしい
これは当てはまるかもしれません!
検索したところ日本人の平均読書量は1カ月に1冊。
これを超えている様なら普通あるべき程度が甚だしいという事になりますから、”偉い”のかもしれません。
読書する量が多い。読書にリソースを割いている。と言う場合、”偉い”には該当しそうです。
結論
本を読む量が多いと、今回定めた”偉い”という定義には該当しそうです!
本をたくさん読んでいる人。偉いです。
ただし、本を読む=優れている、尊敬されるべき立場に居る。と言うのは該当しなさそうと言うのが、僕の考えです。
そして、そもそもこの”偉い”と言う言葉があまりに主観的な気がします。
例えば
Aさんが○○についてリソースを割く人は偉い!と思っていればその人は偉い人という事になります。
しかし世界中の人がAさんと同じように、そう言うリソースの割き方をする人が偉い!とは思っていないでしょう。
それに本を読める環境に無い人が世界中には沢山います。
ですから本を読む=優れていると言う様な安直な解釈は危険かもしれません。
本をたくさん読む人は”偉い!”と思っている人からすると、読書量については他の人より偉いのかな。
くらいの、謙虚な考え方の方が「自分は優れているんだ!」と過信しなくていのかもしれませんね。
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