『アメリカの鱒釣り』 – 日めくり文庫本【1月】
【1月30日】
〈アメリカの鱒釣りホテル〉二〇八号室
ブロードウェイとコロンバス街の角から半ブロックばかり行くと、〈アメリカの鱒釣りホテル〉がある。安宿だ。たいへん古いもので、中国人が経営している。若く野心的な中国人たちで、ロビーにはライソル〔消毒用の洗剤〕のにおいが漂っている。
ライソルのにおいは詰め物にした長椅子に腰をおろし、泊り客面して『クロニクル』紙のスポーツ欄を読んでいる。この長椅子は、わたしが今までに見た家具のうちでも、あかんぼの離乳食のように見える唯一の例だ
そしてライソルのにおいは、時計の重い音に耳を傾け、永遠なる黄金のパスタ料理屋スイート・バジルやイエス・キリストを夢想する年老いたイタリア人の年金生活者の隣で眠りこける。
中国人の経営者たちは、いつも何かしらホテルに手を入れている。先週は手摺にペンキを塗っていたかと思うと、今週は三階の一部に新しい壁紙を貼ったりしている。
三階のその箇所は、なんど通っても、壁紙の色とデザインがどんなだったか、どうしても思い出せない。壁紙が新しくなっていたことしか思い出せない。古い壁紙とは確かにちがっていた。でも、古い壁紙のほうも、どんなだったかは思い出せない。
ある日、中国人が一室から寝台を運び出して壁にたてかけておく。すると寝台はひと月もそのままになっている。そのままになっている寝台にこっちが馴れっこなったころ、ある日行って見ると、なくなっている。どこに行ったのかと、考えてしまう。
初めて〈アメリカの鱒釣りホテル〉へ行った日のことを思い出す。ある人たちに会うために、友人と行った。
——リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(新潮文庫,2005年)127 – 128ページ
藤本和子さんの翻訳つながりで、マキシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』(新潮文庫)を読んだのですが、本作の中国人とどこかでつながっているように思った次第。異なる視点から、別のことを語っているのに、現実と幻想の狭間でつながっている感じです。
/三郎左
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