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『ナジャ』 – 日めくり文庫本【10月】

【10月5日】

十月五日。——ナジャのほうが先に、早く来ている。もうきのうの彼女ではない。黒と赤のずいぶんエレガントな服で、帽子がとてもよく似あい、それをとるとあらわになる烏麦からすむぎの色の髪も、きのうの信じがたい乱れとは打ってかわって見える。絹の靴下をはいており、靴も申しぶんない。会話はだがきのうほどうまく運ばず、はじめのうちは彼女のほうで、ためらいなしには切りだせない。ようやく、私のもってきた本(『失われた歩み』『シュルレアリスム宣言』)をすばやく手にとり、「失われた歩みですって? でも、そんなものないわ。」強い好奇心を示しながら、その本のページをめくる。そこに引用されているジャリの詩に注意がむけられる。

  ヒースの荒野のなか、メンヒルたちの恥丘……

 尻ごみするところか、かなりの速さでまず一気に読んでしまうと、こんどはとてもていねいに吟味をし、はげしく感動させられている様子だ。二番目の四行詩節のおわりに来ると、目は涙にぬれ、とある森の幻景をいっぱいにたたえる。彼女はこの森のそばを歩く詩人の姿を見ている。遠くから詩人を追うことができるかのように。「いいえ、あの人は森のまわりをめぐっているんです。なかへは入れない、入らないんです。」それから詩人を見失ってまた詩にもどり、読みかけていた行のすこし上から、とくに驚かされているいくつかの言葉を検討したり、そのひとつひとつについて、まさに詩のもとめているとおりの理解と同意の合図をしたりする。

  彼らのはがねの刃から、テンとオコジョを追いはらう。

 「彼らの鋼の刃から? テンと……オコジョを。ああ、見える。身を切るような巣、冷たい川、これが彼らの鋼の刃から[#「彼らの鋼の刃から」に傍点]」そのすこし下の行では、

  コガネムシたちの羽音を食べながら、シャヴァヌ

 (恐怖にかられて、本をとじながら、)「おお! これ、これは死!」

——アンドレ・ブルトン『ナジャ』(岩波文庫,2003年)83 – 85ページ


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