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『失われた時を求めて 第二篇 花咲く乙女たちのかげに』 – 日めくり文庫本【12月】

【12月10日】

 一度は私もあやうく決心しかかったが、彼女はちょうど「印刷中」だった。別なときには、彼女が「美容師」の手から逃れられないところだった。「美容師」というのはある年をとった男のことで、女たちのほどいた髪に油をたらしてそれを櫛でとかす以外に、何も手出しをしないのである。そのあいだ、何人かのひどくいやしい常連の女たち、女工と称しながらいっこうに死後っとにありついたためしのない女たちが、私のそばへ寄って来てハーブティーを淹れたり、長々と話しかけたりする。その話というのが——内容はいたって真面目なのに——相手の女たちが部分的に肌を見せたり、あるいは裸身をすっかりむき出しにしているので、一種率直な味わいを帯びているのだったが、それでも私は待ちくたびれてしまった。おまけに、私はやがてこの娼館に行くのをやめることになったが、それというのも、これを経営している女が家具を必要としていたので、彼女への好意を示そうと思って、レオニ叔母の形見にもらったいくつかの家具——とりわけ大きなソファ——をやってしまったからだ。これは家では見かけたことのない家具だった。なぜなら場所がなくて両親がこれを室内に持ち込むのを禁じていたために、納屋に積んであったからだ。けれどもその家具がこの家におかれ、そこにいる女たちに使われているのを見たとたんに、コンブレーの叔母の部屋を空気のように満たしていたすべての美徳が、まざまざと目に浮かんだ。しかもそれが私の手で、無防備にこの残酷な接触にさらされ、踏みにじられているのだった! 私はたとえ死んだ女を他人に陵辱させようとも、これほど苦しむことはなかっただろう。それ以来私はもう二度とこの取り待ち女のところへ足を向けはしなかった。というのは、さながらペルシャのお伽噺に出てくる品物が、表面は生きていないように見えながらじつは殉教者の魂を内に閉じこめていて、その魂が自分を解放してくれとしきりに懇願しているように、これらの家具も生きていて私に哀願しているように思われたからだ。それに通常私たちの記憶は、思い出を年代順にではなくて、鏡に映ったように順序を逆にして差し出すものだから、私ははるか後になってからようやく思い出した、このときより何年も前に、従妹の一人とどこに隠れたらよいか分からずにまごまごしていたとき、彼女は危険にもレオニ叔母が床を離れた一時間を利用したらよいと言い、こうして私が生まれてはじめてこの従妹を相手に愛の快楽を経験したのが、ほかならぬこのソファの上であったということを。

「第一部 スワン夫人をめぐって」より

——マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第二篇 花咲く乙女たちのかげに』(集英社文庫ヘリテージシリーズ,2006年)319 – 321ページ


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