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『フラニーとズーイ』 – 日めくり文庫本【9月】

【9月14日】

 フラニーはもう一度咳払いをした。自分に課した「純粋な聞き手としての役目を全うするべし」という刑期は既にしっかりつとめたはずだ。「どうして?」と彼女は尋ねた。
 レーンの顔に微かではあるが、水を差されたという表情が浮かんだ。「どうしてって、何が?」
「その試論がちゃんと評価されないだろうと思ったのは、どうしてなの?」
「そのことはさっき言ったじゃないか。ずっと説明していただろう。このブルーグマンってやつは、きわめつけのフロベール信者なんだよ。というか、少なくとも僕はそう見なしていた」
「なるほど」とフラニーは言った。彼女は微笑んだ。そしてマティーニを一口飲んだ。「これはおいしいわね」と彼女はグラスを見ながら言った。「二十対一みたいなきつい配分じゃなくてよかった。そっくり全部ジンだったりするようなのは、あまり好きになれない」
 レーンは肯いた。「とにかく、その問題の小論(ペーパー)は僕の部屋に置いてある。もし週末に暇があったら、君にそれを読んであげるよ」
「楽しみ。是非読んでほしい」
 レーンはまた肯いた。「僕は何も、世界を震撼させるような、大層なものを書いたわけじゃない」、彼は椅子の中で姿勢を変えた。「でも——どういえばいいのかな——彼がどうして、そう神経症的なまでに mot jsute (適切な言葉)に惹かれるのかというところに僕が力点を置いたのは、悪い狙いじゃなかったと思うよ。つまりそいつを今の時代の、僕らが知っている光に照らしてみたわけさ。精神分析だとか、そういう見え見えなやつばかりじゃなくて、あくまで適切な範囲でほどほどにってことだけどね。言っていることはわかるよな。僕はフロイトの信奉者とか、そういうんじゃぜんぜんない。でもさ、物事によっては、『そういうのはあまりにフロイト的だから』といって、敬遠して見過ごす手はないんじゃないか。つまりね、ある程度までは、こう言っちまってまったく差し支えないだろうと、僕は考えるわけさ。トルストイやドストエフスキーやシェークスピアといった、そういうほんもの[#「ほんもの」に傍点]の連中は、そこまで苦心惨憺して言葉を絞り出したりとかはしなかったはずだ。連中はただ[#「ただ」に傍点]心趣くままに書いたんだよ。僕の言う意味はわかるだろう?」そう言ってフラニーを見るレーンの顔には、期待の色が浮かんでいた。レーンの目には、彼女は純粋な熱意をもって自分の話を傾聴しているように見えたのだ。

「フラニー」より

——J・D・サリンジャー 『フラニーとズーイ』(新潮文庫,2014年)25 – 27ページ


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