見出し画像

#40 NY在住イラストレーター・Yohey Horishita「Asian in New York」(2021.6.11&18)

今回からの2回シリーズは大好評会議でした。カミさんがClubhouseでやっていた「イラストレーターズ・クラブ」で知り合ったNY在住イラストレーター。どうしてNYに行き、アートの本場でどう生計を立てているのか? そこにはすごいドラマがあったんです。

まず1人目はYohey Horishita(堀下陽平)さん。

画像6

画像6

画像1

画像2

最初に気になるのは、そのタッチ。和やアジアを感じさせるテイスト。それは生来のものなのでしょうか?

自分がアジア人なので来る仕事もアジア系のものが多くて、気が付いたらそうなってた感じです。でも最初は日本っぽいレッテルを貼られるのはイヤでしたね。やっぱりアメリカ社会でアジア人として生きてると、アジア人らしさがイヤになるんです。だから英語の発音も立ち振る舞いもアメリカ風にしようとしたけど、仕事ではアジア風のものを求められて……そのジレンマに一時は落ち込みました。ただ、今はアジア人としてアメリカで生きてるプライドが健康的にできたので、ウェルカムになりましたよ

日本にいたら感じない日本人であるというアイデンティティ。NYではそれを自覚せざるを得ないといいます。

やっぱり自分じゃないものになろうとしてもムリなんです。ゲイなのにストレートぶっても自分じゃないからムリだし。アジアっぽいテイストが出てしまうのは僕にとって自然なこと。それをアメリカっぽくしても辛いだけ。だから今は自然体で臨めるようになりました。ブレないものはブレなくなっていきますから

画像5

今でこそ笑って話してますが、Yoheyさんの半生はあまりに壮絶です。

僕は中高と進学校に行ってて。なんだかんだでいい学生やってたんです。ウチは両親が医療系のビジネスをしてて、僕は長男。地元が鹿児島だから「長男は家を継ぐのがアタリマエ」「おまえは絶対医学部か薬学部!」みたいな(笑)。でも僕は頭が理系じゃなかったから苦痛でしょうがなくて
で、そのときはもう自分がゲイであることは知ってたから、自分がこの先日本で生きていくことを考えたら死ぬと思ったんです。自分がゲイであることは親にも言えなくて、「医学部も薬学部もムリ」って泣きながら言ってたら、高校3年の春に父が突然「おまえアメリカ行くか?」って。つまり島流しならぬ“国流し(笑)。それで絵が好きだったからアラバマの美術学校に進学したんです

薩摩隼人の鹿児島でゲイであることを隠して生きた十代……それだけでも過酷なのに、向かった先がアメリカ南部アラバマ。こっちもとてもリベラルとは言えない土地柄です。

アメリカのことはまったく知らなくて、鹿児島が南部だから南部って直感で決めたんです(笑)。ただ、鹿児島は一応街だけどアラバマは都市じゃなくて、大草原にキャンパスがあるだけ。で、まわりの人はアジア人を見るのも初めてくらいで、「ポケモンがいる!」みたいな言われ方をして。ひどいときには車の中から叫ばれたり、フレンチフライを投げられたり。そんな人種的な差別を感じたのは初めてでしたね
学校のカフェテリアは真ん中にバイキングがあって、それを好きな席で食べるスタイル。ごはんを取りに行こうと通路を歩いてたら、通路の右側は全部白人の生徒で、左側は全部黒人の生徒。そのとき「俺、どっちに座ればいいんだろう……」って。人種で自分のポジションを選ぶって日本だと絶対ありえないけど、3秒くらいの間で計算するわけです。自分を守るためのサバイバルだから。で、最終的には黒人側の席の通路側に座ったんです。俺がどこに座るかみんな見てて、白人の子も「え?」、黒人の子も「え?」って――それが一番憶えてますね
アメリカ南部はキリスト教の宗教性が強い地域で、そうなるとLGBTQは罪と見なされるわけです。当時、自分はゲイであることをカミングアウトしてなくて、ストレートぶってたんです。カッコいい男の人が通ると心の中で「WOW~」って思いつつ、表向きは「彼女ほしいんだよね~」って(笑)

アジア人であること。ゲイであること。性別と人種、ダブルのマイノリティの中でYoheyさんは苦しみます。それが解きほぐされたのが、アラバマの次にジョージア州アトランタの大学に行ったとき。

自分がゲイであることは、アトランタに引っ越してから公言するようになりました。20すぎるとだんだん大人になって、他人のために自分を隠して、自分が大変な思いをしてるのがバカバカしくなってきて
アメリカではイラストの授業でも自分の内面を表現するということを教えられるんです。イラストはストーリーテリングというか物語を語るもので、自分の目線や経験が絵に出ちゃう。授業でも「何で自分はこう感じたのか?」「何で自分はこう思うのか?」って問い質すことが多くて。期末試験の作品で「自分の生い立ちを語る」というテーマが出て、そこで初めてゲイについて語りました。それはつらい経験だったけど、自分にとってはセラピーになりました

モニターの向こうで語るYoheyさんは、弾けるようなハッピーオーラ全開。しかしそれはかくも長き暗黒時代があったから。「やっと自分自身になれた」という歓びが、今のYoheyさんを支えているんでしょう。

いつかは日本に住みたいですね。将来はLGBTQとか自分が体験したことをグラフィックノベルとか本とかにして表現したいです!

結局、実体験が一番の説得力。最後にYoheyさんからのメッセージを!

やりたいことだけやればいいんじゃないかな? 自分が好きなことを伸ばすだけでいいと思う。アメリカの教育って、その人が一番上手なことを伸ばすんです。でも自分が日本にいるときはすべて平等にうまくできないとダメって言われて。でも自分ができることをどんどん伸ばして、それだけでいいんじゃない?って思います

いまマイノリティの苦しみの中にいても、いつか自由になれる。いつか自分自身になれる。そのときは苦労した分、ハッピーオーラを漂わせて……それを身を持って教えてくれたYoheyさんとのSOUL会議でした。

画像4

2021.5.24 on-line


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?