靴のサイズが14cmはベビーだと知って安心した。
出張で、生まれてから初めて3泊4日、娘と離れて暮らした。
久しぶりの東京、初めての一人外泊。それが現実を忘れさせるには簡単だった。
東京というまちは、すごい。
飛行機から降り立った瞬間、自分は透明人間にでもなったかのようだった。
娘が生まれてから2年半、「○○ちゃんのママ」として生きてきた私は、あっっという間にただの「私」になった。
ビルが大きい。どれだけ見上げても、屋上なんて見えない。
まるで自分がミニチュアになった気分だった。
東京に暮らしていた頃は、そんなこと思いもしなかったのに。
東京というまちで一人、というのは、とても自由だった。
そう、本当に自由だったのだ。
誰とご飯を食べても、いつどこに行こうとも、当然「早く帰らなくちゃ」なんてことを思う必要もない。
いつもは21時なんて寝る準備をする頃なのに、「次どこに行こうか?」なんて選択肢があることすら、私はすっかり忘れていた。
すべてが楽しかった。
電車に揺られている間音楽を聴くことも、友人とお酒を飲むことも、夜の街を歩くことも、朝一人で起きて会社に行くことも、ぜんぶ。
またすぐに来たいなあ、なんて思うほどに、本当に充実した3日間だった。
帰路の途中、待合室で本を読んでいた。
すぐ近くに、お母さんにお弁当を食べさせてもらっている小さい子どもがいた。その子は「おいしー!」と嬉しそうにはしゃいでいた。
なぜだか涙が込み上げてきた。
この3日間、私の世界に娘はいなかった。
娘のことはいつでも考えていたし、毎日テレビ電話もした。だけど、目の前に娘がいないことは確かで、私は一人だった。
一人で自由に生きている人が羨ましかった。
自分にはもう手の届かないものだと思っていたけど、今回の出張でそれを味わえた気でいた。
やっぱりたまには一人になって、自由に生きる時間が必要だとすら思った。
だけど、その見知らぬ子の声を聞いた途端、私は「私の半分」を遠くに置いてきてしまったことに気がついた。薄着のまま山登りをしていたことに途中で気付いたような、「私今とんでもないことしてるんじゃない?」という気持ちになった。
「一人は孤独」と捉えられることもあるけど、私は一人になって、なんだか横がスースーして、重くてあったかい塊を抱っこしていない腕は行き場がなかった。
ああ、私って全然一人じゃなかった。
今一人でいるから、一人じゃないことに気づいてしまった。
その瞬間、寂しくて愛しくて、はやく娘を抱きしめたくなった。
夫から送られてくる娘の写真は、日に日に大人びているように見えて、私は貴重な時間を見逃してしまったのだと心底悔しくなった。
待って、待って、まだおおきくならないで。
そんなに急がなくていいよ。ゆっくりでいいから、まだまだ赤ちゃんでいてよ。
新幹線の改札を出ると、娘が駆け寄ってきた。
「ちーーーーーたーーーーーん!」
(娘は最近私を「ちーちゃん」と呼ぶのにハマっている)
娘を抱きしめるためにしゃがんだ。
あ、まだちっちゃかった。
よかった。よかった。よかった。
あれから数週間。今日は娘の靴を見に行った。
2ヶ月前は13.5cmでも余裕があったのに、もう今日は14cmがぴったりだった。
パッとするものがお店になかったので、ネットで注文することにした。
14cm以上で検索するとき、『12cm〜15cm(ベビー)』というタグがあった。
そっか、娘はまだベビーなのか。
よかった。よかった。よかった。
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