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ワーママのわたしが「絶対に誰にも見せない」と決めて日記を書いたら、自分を大切にできるようになった話

子どもはそのときの気持ちを全身で表します。お腹が空いた、眠い、楽しい、遊びたい、今は嫌!・・・
みんなそうだったはずなのに、いわゆる「大人」と呼ばれる人たちの中にはそんな子どものような人は見当たりません。
なぜか?
「だって大人だから。」そんな声が聞こえてくる気がします。
大人は、自由です。だけど、大人は、窮屈です。

今回は、28歳、社会人7年目、時短ワーママ歴1年目の私が、「自分の気持ちを大切にすること」ができた理由についてお話しします。

時間って、無限じゃない

ATARIMAE-!!!!!
だけど、娘が生まれるまでそんなことにすら気が付かず生きてきた。
周りのことを気遣っているようで、そんなのは後付けの都合の良い理由を並べてただけで、本当に自分のことしか考えてなかった。

娘が生まれてから、自分よりも優先すべきものができた。
みんな知ってる?赤ちゃんて、本当に何もできないの。
食事や排せつはもちろん、睡眠も、お着換えもお風呂も保湿も、爪切りや耳掃除、お部屋の移動も、ぜーーーーーーんぶやってあげないといけない。
意識していなくても、必然的に自分のことは後回しになる。
だって、人間一人生んだからって私自身がスーパー人間になるわけじゃないし、キャパが増えるわけでもないからね。

赤ちゃんのお世話+自分の最低限の身だしなみ+家族が生きるための最低限の家事で終わる日々。
あれ、今日私何してたっけ?×everyday

きっかけは、友達との電話

久しぶりに高校時代の友達と連絡を取った。娘が生まれて3か月くらいの頃だった。
友達は、仕事のこと、彼氏のこと、趣味のこと、暮らしのこと、美容のこと、話題がわんさか途切れない。
私はというと、この一言のみ。
「子育てナメてたわ~~・・・」

以上。
娘のことしか話すことがなかったのだ。
今思えば産後間もないんだから当たり前でしょ!って思えるんだけど、当時は「私めっちゃつまんない人間じゃん・・・」って結構落ち込んだ。
ついでに『マミーブレイン』なのか頭の回転も遅いし言葉もなかなか出てこなかった。

出てくる出てくる、焦りと不安

一度負の感情を認めると、『私も私も!』と言わんばかりに他の仲間たちもどんどん出てきた。

毎日娘は成長しているけれど、私はどうだろう?
一瞬で1日が終わる。
時は確実に過ぎているのに、自分の中の時間(成長)が止まっていることにすら気付けていない。

子育てがひと段落する頃には、仕事、趣味、自己肯定感、一人の人間としての魅力・・・自分には何も残っていないんじゃなかろうか?

娘に依存したくない。何かができないことを娘のせいにしたくない。
娘に「ママ、キラキラしてる!かっこいい!」なんて思われたら最高。

自分と向き合う時間を作ろう!がすべての始まり

昔から日記を書くことが好きだったワタクシ。それは今も変わらないけれど、その習慣は出産後明らかに減った。
人間には排せつが必要なように、気持ちや思考も書いて外に出すことによって、浅い呼吸を整えたり視界が開けたりすることがある。

それまでは娘が寝ている間に「今しかない!」と言わんばかりに、せっせと家事をこなしていたけれど、どれだけ家の中がカオスだろうと自分のために時間を使うことに決めた。
読書や調べものをすることもあったけれど、思考整理のためにまずは「書くこと」が圧倒的に多かった。

「絶対に誰にも見せない」と自分に約束して書いたらわかったこと

私ってやつはとことん良い奴ぶりたい習性があり、それは日記にも現れていた。誰に見られるものでもないのに、ちょーっとだけ本心をオブラートに包みつつ、ひどいときは本心とは真逆のことを書いていた。
こんなの、誰が、誰のために書いてるのよ。

「絶対に誰にも見せない!」(見せられない)と心で誓い、ありのままの気持ちを書くことに決めた。
書いているとスッキリすることもあれば、後で読み返して「うわあ・・・」って自分で自分に引くこともある。
だけど、しょうがない。だってそれが私なんだし。

そうして自分の本当の気持ちと向き合うようになって気付いたことがある。
それは、「自分で自分を縛り付けていた」ということ。
私の場合、「母親」「妻」「嫁」それぞれの自分に対して、無意識に「こうあるべき」と思い込んでいたのだ。

「母親」のわたしは、「全てを子に捧げるべき」

いかなるときも娘が最優先、自分のことは後回し。自分の時間がないなんて当たり前。私の周りにいる母たちはそんな人ばかりに見えて、「ああ、やっぱり母親ってこれが普通なんだ」って思っていた。

「妻」のわたしは、「家事を完璧にするべき」

夫に心地の良い場所・できる妻だと思ってほしくて頑張っていた。家事を完璧にこなしてから布団に入る夜はとても気持ちがいい。だがその代償は大きい。ものすごく疲れる&自分の時間が取れない&別に褒められない。

「嫁」の私は、「身なりは質素であるべき」

私の義実家は、絵に描いたように穏やかで規則正しい人たち。その中で浮かないように、できる限り「嫁らしく」見えるように、言ってしまえば「地味」な格好を意識してきた。
だけど、書くことを続けていくうちに気付いたのだ。

母だって、自分のためだけに時間を使ってもいいじゃないか。
妻だって、家事をサボったっていいじゃないか。
嫁だって、自分の好きな格好をしたっていいじゃないか。

自分の中の「本当の自分」に地道に声をかけ続けた結果

もちろん全部を叶えてあげられるわけではないけれど、「それは誰かに迷惑がかかるか?」に対して、答えが「No」であれば、自信を持ってできるようになってきた。
結果、こんな嬉しい副産物も得られた。

・自分が自分のために決めたことで、心地良いと感じることがどんどん増えた。
・気持ちに余裕が生まれた。
・周りを見れるようになった。
・家族の笑顔が増えた。
・人生に大きな影響を与えるものに出会えた。

「周りにいる人を幸せにしたければ、まずは自分が幸せにならなくちゃ。」なんて言葉をよく聞くけれど、一理も二理もあるなあと実感。

自分を大切にする、ということ

私にとって「自分を大切にする」ということは、「自分のために決断する」ということだ。
自分で決めたことだから、当然責任を持つようになる。失敗したとしても、「自分で決めたことだし」と良い意味で諦めもつく。後悔もしないし、周りの人や環境のせいにすることもない。

何より、自分の人生のハンドルを握れてる感、最高。
きっとみんなハンドルは持っているのだけれど、寄り道もせず同じ道を走り続けていたり、周りを走る車ばかりを意識してしまったり、はたまた自動運転に全てを任せてしまったりして、「自分で運転する」という感覚が鈍ってしまっているのかもしれない。
なんてことを偉そうに言っている私は、無免許です。

この記事を読んでくださった皆様の中で、一人でも、少しでも、自分を大切にする意識が持てたら嬉しいなあと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!(あなたの集中力に拍手👏)


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