見出し画像

【選んで無職日記64】友人Kのモテ

 私の友人に、非常に男性からモテるKという子がいる。幼稚園から一緒だが、その時からずっとモテている。正統派とか、カワイイ!というよりもすっきり美人系の顔立ちで、小さい頃は背もあまり高くなくて華奢で、そこもまた彼女の魅力の一つだったような気がする。

 小学校卒業までずっとモテてていたKは中学生になると同時に更にモテを加速させた。小学校の時はモテるにプラスして、友人としての男性からの信頼が厚いタイプで、それが中学になると皆”友人”から”恋愛対象”に切り替わっていったように感じる。
 私の通っていた学校は幼稚園から中学校までがエスカレーターのような学校だったが、中学校に入学するうちの半分ほどが外部から受験をして入ってきた学生たちで、そういう子たちは温室育ちの私たちよりもかなり大人びて見えたし、恋愛にも活発だった。そんな彼らも漏れることなくKを可愛いと言い、デートに誘ったりアドレスを聞いていたようなので、今までに仲の良かった男子たちに加えて更に好かれる人数が増えたのだ。

 Kと私は幼稚園から一緒で、お互いを親友と呼び合うような仲だった。そして中学校近くにある個人塾に二人で通っていた。先生の自宅で運営されていたその塾には、当時私が好きだった男の子も通っていたが、彼は私よりも勉学が出来たために同じ席で勉強することはなく、私はKと一緒に先生の旦那様の書斎を借りて勉強していた。
 勉強していたと書いたが、女子二人が小さな部屋に押し込まれると勿論勉強なんてするわけなくて、無駄話に花を咲かせたりすることの方が多かったが、特に私が楽しみにしていたことが一つあった。それは同級生の男子からKに届くメールを読むことだった。
 当時Kは黄緑色のガラケーを使っていて、そのガラケーの特徴として、メールが来ると折りたたんだ携帯電話にある表面の液晶に、メールの内容が右から左へ流れてくる仕様になっていた。その画面を見た私が彼女に「これ誰からのメール?」と興味本位で聞いたのが始まりだったか、はたまたKが「こんなメールが来てさ」と言ってくれたのかは忘れたが、とにかくそこに同級生男子からのメールが流れてきて、そこから実際にメールのやりとりを見せてもらうようになるまでは早かったと思う。
 もちろん全部を見るのはいくら親友の私でも難しかったが、当時のメールの仕組みは今と変わらず、会話の内容はさかのぼればいくらでも確認できるので、何組の誰誰から来たメールだとか、映画誘われてるとかそういうのに一喜一憂し、最終的にはメールが来た時のライトの色でクラスメイトの誰からメールが来たのかがわかるようになっていた。
 当時Kにお熱だったのはT君とM君で、どっちも中学受験組の子だった。M君は髪の毛にワックスをつけてきただけでヤンキー扱いされ(もう一度言うがこの学校は温室なのだ)、一方のT君はガタイがよくてちょっとやんちゃだった。温室のワルにKはモテていたのだ。
 今何してんのーみたいなメールがezwebの絵文字付きで男子から届き、今○○してるよーと律儀にMが返す。コミュ力が高い彼女は誰にでも分け隔てなく平等に絵文字を使うので、メール文が明るくて楽しい。
 私はそんなメールのやりとりを見ながら、内心羨ましいなと思っていた。当時の私は好きな人はあれど告白する勇気もないし、誰とも付き合ったこともなければ告白される様子もなかった。学校帰りはクラシックバレエばかりしていて放課後の付き合いも悪かったし、バレエをやっている女の子特有の姿勢の良さや、つり目になるほどキッチキチに結ばれた高いポニーテールのせいでクラスメイトからの印象も悪かったと思う。アドレスを聞かれたこともあんまりないし、デートに誘われてもダブルデートのバーターばかりやらされた。
 だから色んな人からメッセージが貰えるKのことが羨ましいし、私も同じようにモテたいと本心では思っていた。だが、そう願うことは恥ずかしいことだと思ってしまい、Kのメールを読んで間接的に青春を味わうよりほかなかった。週に五回バレエのレッスンに行っている私には恋愛に現を抜かしている暇が物理的になかったし、恋愛ばかりしている同級生たちをある種見下していたのだと思う。というか、自分がモテないから他人を見下すことで、恋愛しない自分を正当化しようとしていたのかもしれない。なんて可哀想な女子中学生だ。

 Kのメールを読むか、先生の旦那様の書斎にある本棚を物色するか(塩野七生作品が沢山あったのを今でも覚えている。『ローマ人の物語』がずらあっと並んでいた)、そんなことしか私には選択肢がなく、勉学が進まない私はほどなくしてその塾もやめ、Kのメールを見ることもなくなってしまったが、相変わらずKはモテ続け、彼氏も時折変わっていた。
 自分が経験できない体験を出来る彼女が心底羨ましかった。花火があるお祭りに男の子と二人でデートに行くとか、自転車で夜まで遊ぶとか。そしてそんなモテる彼女と親友である自分が素敵に思えたのも事実だった。
 今の私は少しモテとか恋愛からは遠ざかった生活を送っているが、あの時のKと私を思い出すと今でも胸がぎゅっとなるというか、そういう少し苦くて酸っぱいような感情が湧き出てくるのだ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?